自然とわたし

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

年に1度、南の島に出かけることが、毎年恒例の行事になりました。忙しい日常生活を抜け出して、自然の中にどっぷり浸かるという、私にとって貴重なひとときです。

朝は、自動車の騒音ではなく、鳥の声と波の音、太陽の光で目をさまします。日中は、ひなたぼっこを楽しみながら、のんびりと本を読み、海の中の鮮やかな色の魚たちを眺めます。そして、太陽が沈んでいくのを、時間を忘れて見入り、夜空に輝く星をしばし眺めます。

毎日の生活リズムでは、めったにしないことを、南の島で十分時間をかけて体験しながら、自分自身のリズムと気持ちを整えていきます。

大自然と向き合うと、おのずと自分自身や毎日の生活にも向き合うことになります。普段、気が付かなかった生活や行動のゆがみに気付くこともあります。忘れかけていた大切な事柄に気付かされることもあります。ゆったりとした時間の流れの中で、自然が私に語りかけてくれているのかもしれません。

自然は、時にやさしく、時にけわしく私と関わってくれます。自然の美しさは、私の心を癒し、穏やかにしてくれます。自然の厳しさは、自分自身の存在の小ささを突き付けてくれます。

聖書によると、イエスさまご自身も、人里離れて自然と向き合い、祈りのひと時を過ごされていたようです。何かをお決めになる時や、新しい使命に向かわれる時など、人里離れた場所で祈っておられました。

自然と向き合うこととは、究極的には大自然との一体感を感じることなのではないか、と思います。大自然のリズムが自分自身のリズムとなり、自分の中に脈々と流れる大自然の大きな命に触れることなのかもしれません。これが神ご自身に触れることなのかもしれません。

自然とわたし

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

山陰地方の田舎育ちなので、子どもの頃から、自然の中で生活してきました。川で遊んだり、海で泳いだり、野山を駆け回ったり、自然は、広くて大きく、楽しくてドキドキする遊園地のようでした。大学に入学以来30年余り住んだ長崎県も、海が身近にある緑の豊かな土地でした。休みの日には、潮騒の音を聞きに行ったり、近くの野山を散策したりして、心身を癒されたものです。

いまも山や川や海など自然の豊かな大分県に住んでいます。日本一温泉が湧き上がる県だそうで、週に1度はこの温かな恵みに浸っています。

さて、わたしにとって自然とは何でしょう。一言でいえば、いつでも無償で生きる力を与えてくれる神様からの愛のこもった贈り物です。

そもそも自然は、神様が創造された被造物です。考えてみるに、もしこの地球に海や陸や空がなければ、わたしたち人間は存在することができません。もし水や光や空気がなくなれば、だれ一人生きていくことはできません。自然は、それほど貴重なものです。

わたしたち自身も神様に創られた被造物です。知恵と自由意志を与えられ、他者への愛のために生きることを神様は望まれています。そして、この地球をわたしたち人間の手に委ねられました。

しかし、人間は自然と共存しながらも、次第に自己の繁栄や利益追求のために、自然を汚染し破壊してきたのではないでしょうか。

昨今、世界的な規模で「自然を守ること」「地球環境を大切にすること」が叫ばれています。

自分とは無関係だとは思わずに、神様に感謝しながら、節電や節水を心がけたり、ゴミを分別したり、身近な小さなことからエコ活動ができればと思っています。


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