自然とわたし

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

かつて、季節の花々が咲き乱れ、自然に恵まれた豊かな日本がありました。四季折々に、その季節特有の美しさと雰囲気を演出してくれたものです。これらは、すでに過去の出来事なんでしょうか。花ばかりではなく、野菜にも季節感がなくなってきたような気がします。品種改良が重ねられ、昔ながらのおいしい味わいが失われてきた感じがしてなりません。それにつれて、日本人の感性にも変化が出てきたのではないでしょうか。このように感じるのはわたしだけでしょうか。

一方で、熊、イノシシ、その他の動物たちが、山にその居場所を失い、町中に餌を求めて降りてくるという現象が起きています。これは、森や森林地帯の喪失を意味しているのでしょうか。

自然界のこのような変化は、人間の生き方、感じ方、いろいろな面にも影響を与えます。それだけに大切な要素なんだなということができます。

よく考えるまでもなく、あらゆるものはお互いに密接に関係しあっているということです。したがいまして、大げさに言いますと、わたしたちの周囲に起こる今日の諸問題は、その解決のために、地球規模のあらゆる視点からの考察が求められているといえるのでしょう。

教皇フランシスコは言及しています。「総合的なエコロジー」の考察の必要性です。「エコロジーとは、生命体とその生育環境とのかかわりの研究です」。「わたしたちは自然の一部で、その中に包摂されており、それゆえ、自然とのたえざる相互作用の中にあります」したがって、1つの問題原因を突き止めるには、社会の仕組み、経済のあり方等の視点も必要となります。

自然との「共生」は「わたし」の問題です。

自然とわたし

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

田園に囲まれ、のどかで豊かな自然が広がる地で、私は育ちました。

田植えの季節になると、冬の間休んでいた生きものたちも一斉に動き出し、つくしが生え、レンゲやたんぽぽの花が咲き、春の訪れを感じさせてくれました。水を湛えた田んぼが鏡のように輝き、青々とした稲が広がると、メダカやおたまじゃくしが活動し、にぎやかな蛙の大合唱が聞かれるようになります。

夏になると、強い日差しを浴びて、稲はぐんぐん成長します。やがて、緑の波に変わって、秋風に波打つ、たわわに実った黄金色の稲穂は頭を垂れ、乾いた稲の匂いを立てるようになります。稲の刈り取りが終わると、地は静かに力を蓄え、冬の寒さに耐えるように水田は休みの時を過ごします。

このような季節ごとの変化を、今、思い出すと、まるで私たちの人生を語ってくれていたように感じます。

  

海も近かったため、夏の夜は、窓を開け、遠くから響く波音に、心地よい潮風に当たりながら、天地の創造主に自然に心が向けられ、私は、1人静かに祈り、賛美の手紙をしたためたものでした。四季折々の移ろいを見せるそれらの美しい風景や環境は、私の原風景、創造主なる神と私との出会いの原点です。

今では、たくさんの家が建ち並び、人間の都合で、なつかしい風景もすっかり変えられました。変わり果てた様子を目の前にすると、いつの間にか子どもらしい純粋で自然な心を失ってしまった大人の自分自身を見るような思いがします。

しかし、私の心の中で今も生きているなつかしい原風景は、神と私との本来の関係を思い起こさせ、私のうちに、神が創られた世界の美しさを取り戻す希望を呼び起こしてくれるのです。


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