自然とわたし

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

私が暮らす鎌倉という町は、首都圏ながら自然環境に恵まれている。南は海に開け北は寺院が多いので、背後にそれぞれ山を抱え、山々の尾根伝いにハイキングコースが張り巡らされている。市内の建物には高さ規制があるため、大型の集合住宅より依然として一戸立ちの庭付き住宅が多い。市が補助を出しブロック塀より生け垣を奨励していることもあり、家々の庭の草花や芝の緑が覗けるのも街歩きの楽しみで、四季折々の自然の移り変わりを肌で感じる事の出来る町である。

遠く800年以上も前に源頼朝が幕府を開き街並みを整えてから、殆ど地図が変わらない旧市内、街の中央を走る道を若宮大路という。海から鶴ヶ岡八幡宮に至る2キロの道で3か所に鳥居があり、古からの参道でもある。

1の鳥居は関東大震災で折れた跡が痛々しいが、足元の植木がうっそうと茂る夏、吹き抜ける海からの風に、私が住民になる以前、東京から海水浴に訪れた懐かしい子供の頃を思い出させてくれる。

2の鳥居から3の鳥居までは歩道専用の1段高くなった参道が続く。史跡段葛といい、頼朝が政子の安産祈願のため造営させたとの事だ。桜の並木道で、近年それまでの老木が全て植えなおされた。 満開の花のトンネルとなる春、紅葉しハラハラと桜葉が散り頻る秋、季節の移ろいの美しさを堪能出来る。

段葛の中ほど、東側に建つカトリック雪ノ下教会の正面にはめ込まれた「絶えざるお助けのマリア様」のモザイク画を見上げると、知らず知らずのうちに造り主への感謝が湧いてくる。

冬、段葛に立って月の出を待つ。西の空が重い赤から青紫色に変わると、カトリック雪ノ下教会の銀色の屋根が鈍く光り月が上る。

私は絵筆をとり感謝を込め、様々な自然を描き留める。

自然とわたし

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

私は外遊びが大好きな子どもでしたが、学校の遠足や移動教室で自然の中に入る授業は、それほど好きではありませんでした。

その感覚が大転換したのは、大学院時代に小鳥を飼い始めてからでした。最初は小鳥に話しかけるのがちょっと恥ずかしいと思うほど動物とのかかわり方が分からなかったのですが、彼らの天真爛漫なコミュニケーションに応えたり、美しい囀りに口笛で返事をするうちに、すっかり小鳥の友達気分になってしまいました。私が遊んでいるようでいて、実は小鳥たちに付き合ってもらっているのだ、ということも分かってきました。

彼らが暮らしていた自然界はどんなところだったのだろう? そう思って野鳥の観察会に行ってみると、子ども時代からは想像もできないような自然への思いが湧いてきたのです。

鳥たちが飛び、餌を探し、雛を育て、巣を作る里山や森、天敵たちが目を光らせる地上が私の世界となり、そこで起きている環境破壊や森林放置、密猟に衝撃を受けました。

その後、日本野鳥の会創設者の中西悟堂氏の本を読破し、「鳥が教えてくれた空」を書いてエッセイデビューしたのでした。

なぜ小鳥が私をそこまで変えたのでしょう。それは、彼らが私と対等な「種」として付き合ってくれたからです。体が大きいとか、餌をくれるというある種の上下関係に囚われず、自然界に共に生かされた生き物同士として私を扱ったからです。

自然界に入ると、私は裸の命になります。心の底まで自然に委ね、「今」を感じ、人間の知恵や技術をはるかに超える大きな力を感じます。その感覚は、私の体の千分の一の小さな小鳥たちに教えてもらった大きな自然のレッスン。そして、神様のメッセージでもあるのでしょう。


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