この花の存在を知った時、私にとって今までの人生は、何1つ無駄なことはなかったと思えた。これからが目覚める時だと信じた。
私は女子大を卒業後、何をしてきたのだろう。
小学校の教師、デザイナーの秘書、群衆を多く使う演出家のスタジオに入所し、群衆のひとりとして舞台に出演。その後、体を壊し、実家に戻り、子どものための劇団主宰。再び上京し、カトリックの出版社の編集者、母の病気により、出版社を辞め、長年、母の介護も経験した。その間、神学部へ入学、卒業し、庭掃除や皿洗いのアルバイトもした。
今はカトリックの月刊誌の連載、ラジオ原稿と絵本の執筆を続けるとともに、頚椎損傷で頭以外は動かすことのできない方の介助をしている。今、私は主に執筆と、介助の仕事で生活費を稼いでいる。
私自身、年を重ね、若さにあふれ、何をしても生きていける時期は過ぎ去った。そんな時、このセンチュリープラントに出会った。
センチュリープラントのように 100年間も風雪に耐え、花が咲いた瞬間に根元から腐り、花に養分を流す。
この花の存在を知った時、遅すぎる出発だけれど、私が今まで蓄積してきた養分のすべてをこの命にこめ、言葉の花に向かって注いでいこうと思った。
そこに、わずかでもいいから、イエスが死に向かう時の混じりっけのない愛があればと祈る。
教え子も、何とかハロウィンを終えてからお葬式ができないものかと考えました。でも、どう考えても無理だったのです。そのことを娘さんに告げると、案の定、娘さんはだだをこね始めました。「私がとっても楽しみにしていたハロウィンに出られないなんて考えられない」と、だんだん興奮していくのです。
教え子もそのご主人も、何とかできないものかと思案に暮れたとき、何を思ったのか、いつも妹の威勢に負けてばかりのお兄ちゃんが妹の前に進み出て、じっと妹の顔を見て「あのな、ハロウィンは来年もあるんやで。でもな、おじいちゃんの葬式は、明日しかないんや!」と、諭したのです。
妹はそのとき、はっとした顔をして、「おじいちゃんのお葬式は明日しかないの?」「そう、明日しかないんや。」それで、妹は急におとなしくなり、「おじいちゃんのお葬式にわたし行く」と、皆に告げたのでした。
小さな子供たちが、命の関わりの大切さに目覚めた瞬間でした。