悔い改める

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

「ごめんなさい」。この一言が言えず、人との関係がぎくしゃくしたことはありませんか。自分の行いが常に正しいと思っている人は、失敗や過ちをして、人の心を傷つけたとしても、中々それに気づくこともなく、仲直りをして新たな歩みを進めることは難しいでしょう。

ところで、南米のチリに「ロスアンデスの聖テレサ」という19歳という若さで亡くなったカルメル会の聖女がいます。修道院での生活はわず1年足らず。彼女が17歳の学生の時、こんなことがありました。

シスターの先生がお菓子を配られた。テレサがいただいたお菓子は小さいものだったので、くやしくて捨ててしまった。シスターは後からテレサにもう1つ下さろうとしたが、彼女は受け取らなかった。小さい時からの激しい気質が大きくなってもまだ残っていたのですね。私たちの身近にある様な出来事かも知れません。

そんなテレサですが、そのことを反省し、イエズスに打ち明けて赦しを願ったことを、彼女は日記に残しています。

「よいイエズス様、こんなに卑怯な私をどの様にお思いになりますか。ゆるしてください。この次はもっと良くいたしましょう。」

小さなエピソードを通して、聖女は大切なことを私たちに伝えてくれている様に思います。謙虚に自分の姿を認め、反省し、赦しを願って、あらためる決心をして新たに歩んでゆく。より良い人生の歩みの秘訣は、この様な生き方の積み重ね、繰り返しなのかも知れません。その中で私たちは、少しずつ成長してゆくのでしょう。

歩みを振り返り、勇気を出して、自分のありのままの姿を率直に認めて、悔い改めるなら、新たに歩み出すことができるでしょう。

私たちの歩みが祝福に満ちた歩みとなります様に。

悔い改める

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

2018年はシドッティ神父生誕350年、屋久島上陸310年であり、2019年には、聖フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えて470年を迎えます。日本とキリスト教の歴史にとって記念の年が続きますが、長年彼等について取材し、作品に取り上げ発表してきた私には偶然とは思えず、40年余り前、私はやはり「主に呼ばれた」と一人合点しています。

「鎌倉のキリシタン」をご注文下さった神父様が、20年前、私が初出版した画集の表題に、『神の絵筆』と付けて下さった事を感慨深く思い出します。

制作には資料を読み解く事と現地取材が欠かせません。そこで体験するのが他宗教との関わりの問題です。

長い禁教が続いた江戸時代、年中行事の一つとなって継続された絵踏みの習慣は、キリシタンを苦しめましたが、250年もの間、潜伏キリシタンとして信仰を受け継ぐことが出来たのは、他ならぬ近隣の心優しい仏教徒や僧侶神職の協力で、見逃され保護された例が各地にあります。

一方で、豊臣秀吉の伴天連追放令発布から徳川秀忠の禁教令、そして翌年1614年の遠島に至る歴史は、カトリックの修道会同士の仲違いと中傷合戦でしたし、三浦按針ことウイリアム・アダムスを始め、出島に滞在するオランダ商人達の新教徒は、徹底的にカトリック弾圧に組しました。

第2バチカン公会議後、教会は一致の方向に向かい、世界宗教者会議では他宗教間の相互理解を進めています。私利私欲の為の宗教は論外ですが、謙虚に創造主を信じ、命への感謝が基本の宗教なら、今こそ互いの非を悔い改め、協力が必要な時代だと実感します。

人類にゆるしの秘跡をと祈ります。


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