悔い改める

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

ギリシャ神話や日本各地に見られる民話は子供時代、私を恐怖に陥れ、夢でしばしばうなされたものです。

母親から頼まれたお豆腐や納豆の買い物で、おつりを返さずお小遣いにしてしまい、母を哀しませた思い出は、今でも悔い改めの一つです。

心理療法という仕事で出会う人々の中にも、罪の意識からノイローゼになり、苦しむ人も沢山いますが、殆どの事例が独断と偏見に基づく思い込みが原因。理想と現実のギャップが罪の意識の源で、こうあるべきという理想像の中身を点検し、現実の解釈の中身を細かく分析していきますと、その解釈の内容に少々神経症的な解釈が見出される事例が沢山あります。

人それぞれの、理想像と現実の解釈を健全なものに修正していくと、約9割の人々が病的な罪の意識から解放され、明るく爽やかな「悔い改め」に変身していきます。悔い改める方法を間違えますと、入院するほどの身体症状が出てくるようです。陰湿で暗い「悔い改め」は極めて危険と言えるでしょう。明るく元気に、かつ、爽やかに悔い改める事は可能です。

エリクソンという学者は罪の意識の元型は5才から7才にかけて生まれると断言しています。そして治療の方法として、その人の成育史に注目し、自発性と目的志向性を明確化させると、病的な罪の意識から解放されるという理論を展開しています。つまり何の為に生きていくのか、生きる喜びをどうしたら獲得できるか、という問いかけをしているわけです。生きる目的が明確でないと、無駄な罪の意識が生まれてくるのです。

生きる目的、生き甲斐、そして自分の魂と過去の自分の人生と身体を大切にしていく決意を明確にしますと、病的な罪の意識は消滅し、爽やかで明るい反省が出来るようです。

悔い改める

小川 靖忠 神父

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日本人の特徴として、思いやりがある、礼儀が正しい、など「きれいな心」という清廉なイメージがあるようです。ところが、ある海外の人々からみた日本人は、自己表現が消極的、人目を気にしすぎている、謙虚さがかえって自虐的に見えるなど、マイナスのイメージがあるように感じるそうです。

日本のことわざに「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という表現があります。昔から日本人に根付いている文化は、「恥の文化」であると聞きます。こうした「日本人気質」は、どこから来ているのでしょうか。

アメリカの文化人類学者であり、「菊と刀」の著者でもあるルース・ベネディクト氏が、その著書の中で規定しています。つまり、欧米は内面の良心を重視するのに対し、日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にするというのです。さらに、他人に笑われたくない、恥をかきたくない、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、日本人は自分の行動を決める、と彼女は分析しています。

こう考えますと、「悔い改める」という業も、人の目を気にしての行動になるのでしょうか。自分の行動が悪かったことに気づき、それを直すわけですから、その判断基準は「人の目」なんでしょうか。それではあまりにも刹那的な感じがします。

同じような表現に「回心する」という言葉があります。これは、今までの歩みを肯定し、「方向転換をする」という意味合いがあるのではないでしょうか。「悔い改め」は、過去を否定するわけではないにしても、今までの自分に「ダメ」の判断を下してしまいます。

人は皆、紆余曲折をたどりつつ、よりよい生き方を求め続けています。それを本人が意識していてもいなくても・・。

悔い改め、回心の日々です。


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