悔い改める

新井 紀子

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私の父は肺がんで入退院を繰り返していました。私は初めての肉親の別れに覚悟ができていませんでした。父はできていたようです。

その日、母を連れて病院へお見舞いに行くと、父の呼吸が怪しくなり、みるみる顔色が悪くなりました。驚いて医師を呼びました。医師はすぐに気道確保のための機械を装着しようとしました。ところが、父は苦しい呼吸の中でも、嫌がるのです。しかし、母も私もその装置を付ければもう少し長く生きられると思い、付けてもらったのです。その夜、父は息を引き取りました。

「あんなに嫌がっていたのに、機械を付けてしまった。付けなければ、父の言葉を最後まで聞けた・・・。」と私。

2年後、パーキンソン病を患って、体の動きが不自由になっていた母が倒れました。私たち姉妹は、父の最期の時の反省から母には望みどおりに死なせてあげようと思いました。20年以上も昔のことです。自宅での看取りを選んだのです。近所の医師も協力してくれました。

その日、1度意識を失いました。私が救急法で習った人口呼吸と心臓マッサージを施すと、母は蘇生し「Yちゃんは」と、まだ来ていない末娘の名を言ったのです。駆け付けた末娘が「お母さん、Yですよ」母の耳元で言うと、母は安心したように天国へ旅立って行きました。母の希望通り、子供たちに見守られて自宅で最期を迎えることができました。母は、父と違って最期の言葉を言うことができたのです。

私にはもう一つ反省があります。

父と母の最期に立ち会えたのに、言えなかった言葉があるのです。こんな言葉です。

「お父さん。育ててくれて、ありがとう」

「お母さん。産んでくれて、ありがとう」

父と母が元気な時に言えば良かった。今も胸が痛みます。

悔い改める

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

ギリシャ神話や日本各地に見られる民話は子供時代、私を恐怖に陥れ、夢でしばしばうなされたものです。

母親から頼まれたお豆腐や納豆の買い物で、おつりを返さずお小遣いにしてしまい、母を哀しませた思い出は、今でも悔い改めの一つです。

心理療法という仕事で出会う人々の中にも、罪の意識からノイローゼになり、苦しむ人も沢山いますが、殆どの事例が独断と偏見に基づく思い込みが原因。理想と現実のギャップが罪の意識の源で、こうあるべきという理想像の中身を点検し、現実の解釈の中身を細かく分析していきますと、その解釈の内容に少々神経症的な解釈が見出される事例が沢山あります。

人それぞれの、理想像と現実の解釈を健全なものに修正していくと、約9割の人々が病的な罪の意識から解放され、明るく爽やかな「悔い改め」に変身していきます。悔い改める方法を間違えますと、入院するほどの身体症状が出てくるようです。陰湿で暗い「悔い改め」は極めて危険と言えるでしょう。明るく元気に、かつ、爽やかに悔い改める事は可能です。

エリクソンという学者は罪の意識の元型は5才から7才にかけて生まれると断言しています。そして治療の方法として、その人の成育史に注目し、自発性と目的志向性を明確化させると、病的な罪の意識から解放されるという理論を展開しています。つまり何の為に生きていくのか、生きる喜びをどうしたら獲得できるか、という問いかけをしているわけです。生きる目的が明確でないと、無駄な罪の意識が生まれてくるのです。

生きる目的、生き甲斐、そして自分の魂と過去の自分の人生と身体を大切にしていく決意を明確にしますと、病的な罪の意識は消滅し、爽やかで明るい反省が出来るようです。


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