悔い改める

服部 剛

今日の心の糧イメージ

聖書の中で黙想のヒントになる箇所は無数にありますが、特に大事なポイントになると思うのは、十字架上で息絶えたイエスが復活し、イエスを裏切った弟子たちと出逢い、弟子たちが信仰の歓びそのものを人々に伝え始めるというところです。

キリスト教にとって「イエスの復活」は重要な信仰であると同時に、日本人であり、クリスチャンでもある私が、復活をどう人々と共有し得るかは、生涯をかけて探究すべき深いテーマです。普通に「イエスは復活した」と語っても、日本人にはピンとこないという現実を知ることから、私は始めたいと思っています。

聖書をパタン、と閉じて私が感じることは、すでに体を持たないイエスという存在の"いつまでも消えない愛"があるーーという直観です。

<イエスの存在は愛そのものかもしれない>という予感を辿っていくと、その核心に触れるのはルカによる福音書22章でペトロがイエスを裏切る、次の場面です。

『主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。』

この場面を読むたび、瞳を閉じるとイエスの深く澄んだまなざしは時空を越えて、日々、つまずいては何とか立ち上がろうとする弱さを抱えた私自身をも、じっと見つめてくださっているような気がします。その少し潤み、微かに震える瞳は、誰もが転んでは立ち上がろうとする時にこそ、遥かに遠い場所から何かを囁いています。

「もし、あなたの哀しみを誰も理解しなくても、私はあなたの哀しみを知っている。そして、もし私と共に歩むならば、やがて雲間からあの太陽が顔を出すであろう」と。

悔い改める

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

先日、NHK・Eテレの「オイコノミア」という番組で、貧困の問題が取り扱われていました。解説された講師が、「欠乏に陥らない為には、余裕が大切である」ことを力説しながら、次のような例を示されました。

アメリカのある大きな病院でのこと。その病院には、手術室が沢山あるにも関わらず、いつも予約で一杯の状況でした。加えて急患が入ると、一室が使用される為に、予定されていた手術の部屋をやりくりすることが、病院側にとって大変な作業となっていました。そこでコンサルタントに相談したところ、緊急の手術用に一部屋空けておくことが提案されました。病院側は、経営の悪化を心配しましたが、結果は逆で、手術数が増し、経営も改善したのでした。

ここで講師が仰っていたことは、余裕のない状態、つまり「欠乏の状態に陥れば、人は不合理な選択をする可能性がある」と言う事でした。確かに、心に余裕のない時、私達は理性的に振る舞えないことが多いようです。他者からの介入、それが神様からの介入であっても、拒否してしまう可能性があります。

聖書の中に、イエス様に代わって十字架を担った人としてキレネ人のシモンと言う人が登場します。『十字架の道行』という祈りの中で、彼はこの時、「死刑にされる囚人を助けるのは屈辱と感じた」と書かれています。続けて、「心ならずもイエスと一緒に群衆の嘲りの的となったシモンは、後に教会の一員となりました」と書かれ、続く祈りの中で、「主イエス・キリスト、あなたは私達の予期しない出来事を通しても、救いの恵みをお与えになります」と書かれています。

予期しない出来事をも受け入れる為、心の余裕を願いたいと思います。


前の2件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11