食べ過ぎ、飲みすぎによる私のぷっくりお腹は、鏡を見る度に反省できます。しかし、集団や国レベルの怠りは複雑です。マングローブ林の減少や、多額の赤字国債を子孫へ押し付けることなど、罪の意識を感じにくいことが多いのです。イエス様をお迎えする前に、意識して反省することが必要だと思うのです。
司祭のお許しを得て、ご聖体と御血を拝領した時のことが忘れられません。司祭が私の目をじっと見つめながら「あなたのために与えられた主イエス・キリストの体です」「あなたのために流された主イエス・キリストの血です」と、力強く言われたのです。「私のせいだ」と突きつけられて、申し訳ない気持ちと、神様の愛に包まれている幸せな気持ちで、いっぱいになりました。
時には、違う宗派や、異なる宗教の礼拝に触れてみるのも、いいものです!
悔い改めで大事なことは、過ちを犯した、あるいは間違ったと、「気づく」ことです。しかし、決して不安になったり、自己不信に陥ったりすることではありません。不安というのは、神への信頼の欠如ですから、ある意味で、罪よりも悪いと、わたしは若い時の霊的読書で教わりました。ですから、悪いことをしたということに気がつけば、即座に考え方や選択を変え、神に至る正しい道に戻るように努めています。そこから得られる恵みは、一言で言い表せません。ですから、わたしたちは、過ちを犯したことをいたずらに後悔するのではなく、間違ったと気づいた瞬間に、ものの見方や選択を変えようと努めることが、大事です。
「過ちて改めざる、これを過ちという」との言葉もあります。
人間は、過ちを犯すことで謙虚になり、用心深くなります。悪かったと気づいたら、すぐに改める。それを平安な心で行うなら、わたしたちはやがて偉大な人になるでしょう。