悔い改める

今井 美沙子

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聖書を読み続けて約50年余りになる。

その時々で深く心を打たれる聖句に出会い、助けられて来た。

71歳の今、私が一番、心を打たれるのは、ルカ23の39~43の犯罪人の回心の箇所である。それを引用すると、

===十字架にかけられた犯罪人の1人が、冒涜の言葉をはいて、

「お前がメシアではないか、自分と俺たちを救ってみろ」と言った。

するともう1人の犯罪人がこれをたしなめて、「おまえは同じ刑罰を受けていながら、まだ神を恐れないのか。われわれは自分のやったことの報いを受けるのだからあたりまえだが、このかたは何も悪いことをなさっていないのだ」と言い、「イエズスさま、あなたが王権をもって来られるときには、どうかわたしを思い出してください」と言った。イエズスは「あなたによく言っておく。きょう、あなたはわたしとともに楽園にいるであろう」と仰せになった。==

この箇所を声を出して繰り返し拝読するといつも希望のようなものが心に湧いてくる。

イエズスさまは、どんな時にも人々への救いをみなぎらせつつおられるということがよくわかるのである。

悔い改めるのは早いにこしたことはないが、さりとて遅いということもない。

いまわのきわであっても、改心し、神さまに心の底からすがるなら、神さまはどんな人も見捨てずに天国に導いてくださるという確信がめばえるのである。

よくぞ、聖書にこの箇所を記述してくれたと2千年後の今、感謝の気持ちでいっぱいである。人生に何があっても決して絶望せず、最期の時まで神さま、神さま、と、純真な心ですがるなら、神さまはきっと手を差しのべてくれると多くの人に声高らかに伝えたい。

悔い改める

堀 妙子

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もう10年以上も前の話である。ある宣教師のお母さんが亡くなり、追悼ミサが捧げられることになった。その時のお説教は、お父さんのロザリオにまつわる話だった。

ロザリオとはバラの花で冠を編むように、聖母マリアの生涯を通してイエスの足跡をたどっていく、カトリックの伝統的な祈りだ。

お父さんはイタリアでナチへの抵抗運動をしていた。人間の尊厳を踏みにじる者たちに対して、命がけで人間を守りぬこうとする人たちをパルティザンと呼ぶ。お父さんの役割は、文書などを届ける「伝令」だったそうだ。

当時、まだその宣教師は誕生していなかったが、5歳になる姉がいた。そんなある日、父は任務のため家を出たが、少しして忘れ物に気づき、家に戻った。「ロザリオを忘れた」と言って、ポケットに入れて危険な任務に赴いた。

不運なことに途中でナチに捕まってしまった。5人のパルティザンが捕まり、広場での処刑が決まった。母は父が殺されると聞き、半狂乱になり、「もし夫の命を助けてくださったら、これから生まれる子どもは、神さまに献げます」と祈ったのだそうだ。

やがて、広場に捕まった5人が集められた。父は5番目だった。1人ずつ身体検査があり、銃殺されていった。父の番になり、もう終わりだと覚悟した時、ポケットに入れたロザリオが見つかり、「なんだこんなもの」と地面に投げ捨てられ、「おまえは帰れ」と言われたのだ。

その後生まれた男の子2人は、それぞれ違った修道会に入り司祭となった。

そのうちの1人が、追悼ミサで説教をした宣教師であった。

この説教が忘れられないのは、ロザリオを触ったナチの親衛隊が怖れ、命まで助けたことだ。親衛隊の一瞬の悔い改めにより、2人の司祭が誕生した。


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