北こぶしは、春を告げる花なのです。私も北海道に暮らすようになって、大好きになりました。北こぶしは木の花で、1年おき、あるいは2年おきに満開になります。それ故に森の中で見つけると、私はつい声をかけます。
「頑張って咲いたね。ありがとう」
私の母は水仙の花が大好きでした。1月生まれの母は、誕生日の頃、庭に咲く凛としたこの花を見るたびに、しっかり生きなければと思ったそうです。女学校の絵の時間にも水仙の花を描き、すごく褒められたのよ、と得意そうに話していました。
私の父は椿の花が好きでした。出張で地方に出かけると珍しい椿を見つけては買ってきました。生垣にも椿を植え大事に育てました。春になるとピンクの花が満開になったものです。
新潟で生まれ育った姑は、アジサイの花が好きでした。家の前にアジサイの鉢植えをいく鉢も育てていました。
父も母も姑も、20年以上前に亡くなりました。
しかし、春一番に咲く水仙を見ると、優しかった母の姿と声を思い出します。庭や生垣に椿の花が咲きだすと、父の背中を思い出します。様々な色のアジサイを見ると、大きなじょうろでアジサイに水をやっていた小柄な姑の姿を思い出すのです。
今年も北こぶしの咲く季節になりました。森の中へ春を探しに行こうと思います。
「取りに行くのめんどくさいなあ」と思って、ポケットに手を突っ込んだそのとき、私の手がロザリオに触れたのです。そして私はひょっとしてと思い、そのロザリオの金属の十字架の長い方を、楽器倉庫の鍵穴に差し込んでいたのです。回すタイプの簡単な鍵だったので、すぐに楽器倉庫は開きました。
それが、私のロザリオの悲劇の始まりでした。度々、鍵代わりにロザリオの十字架を使ったので、すぐに私のロザリオの十字架にあるイエス像が壊れ、はずれてしまいました。また、鍵代わりに回すのですから、十字架の長い方は、ねじのように曲がったままになりました。
壊れた美しくない私のロザリオは、その後40年近く、私の側にいました。何時も側にいるから、新しいものを貰っても交換する気になれず、不思議と壊れたロザリオが私のもとに残るのです。
そんな話を10年ほど前に洗礼を受ける予定の人にしたら、「その壊れたロザリオを下さい」と言われ、あげてしまいました。その後は、じわじわとその寂しさが押し寄せてくるこの頃です。