画面には、卒業してからもシスターに英語や聖書の教えを習う女性たちも登場する。「シスターは本当に愛にあふれた方です・・」一人一人のために祈ってくれ、誕生日には毎年長文の御祝いカードを送ってくれる。女性たちは気にかけてもらっていることを本当に幸福に感じているようだった。
シスターは幼い頃から修道女になりたくて、神に自分を委ねることに迷いがなかった。いつも楽しげでユーモアを忘れず、他人に善意だけを表す。簡単なようで、まず出来ないことではないだろうか。だがシスターはそれで多くの教え子や周囲の人々を幸福に導き、彼女を満たしている神の愛を伝えたのである。
愛するということは難しい。だが自分が愛されていること、自分の花びらに暖かい光が当たっていることを知れば、喜びのうちにそれを分け与えることも出来るだろう。シスターはそれが出来た方なのだったと思う。
神さまも、きっと同じようなまなざしで天国からわたしたちを見ておられるに違いない。自分では何もできない子スズメのようなわたしたちが、ときに転び、ときに迷いながらも精一杯に生きようとしているのを、神さまは天国からやさしく見守ってくださっている。そして、「がんばれ」と心からのエールを送り、必要なときには助けを与えてくださるのだ。
「何をやってもうまくゆかないし、こんなわたしでは神さまでさえ愛想をつかすに違いない」と、つい考えてしまうこともあるが、そんなことは決してないはずだ。何もできない子スズメたちでさえ、ただ精一杯に小さな命を生きようとしているだけで、たまらなく愛おしく見える。まして、精一杯に生きようとしているわたしたちを、神さまが見捨てることは決してないはずだ。子スズメたちに負けないくらい、命を輝かせながら毎日を生きてゆきたいと思う。