愛でる

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

5月は聖母月。木々の若葉が目に鮮やかな季節、枝の陰で遅れて咲いた花にも陽が当たる。やっと開いた小さな花を、聖母が清らかな光の指で愛でているようだ。

私たち人間も、枝の陰で愛されるのを待っている蕾のようなものではないだろうか。先日、「お陰様で」と言う映画を見た。アイルランドから来日し、田園調布雙葉学園で75年間英語を教えた"幼きイエス会"の或るシスターの記録映画である。監督はジャーナリストでシスターの遠縁にあたる人だ。初めはシスターが100歳を過ぎた記念に、親戚皆で楽しめる思い出ビデオを作るつもりだった。が、シスターの人柄の魅力と戦争をはさんだ経験談に引き込まれ、いつの間にか1本の映画が出来上がっていたのである。

画面には、卒業してからもシスターに英語や聖書の教えを習う女性たちも登場する。「シスターは本当に愛にあふれた方です・・」一人一人のために祈ってくれ、誕生日には毎年長文の御祝いカードを送ってくれる。女性たちは気にかけてもらっていることを本当に幸福に感じているようだった。

シスターは幼い頃から修道女になりたくて、神に自分を委ねることに迷いがなかった。いつも楽しげでユーモアを忘れず、他人に善意だけを表す。簡単なようで、まず出来ないことではないだろうか。だがシスターはそれで多くの教え子や周囲の人々を幸福に導き、彼女を満たしている神の愛を伝えたのである。

愛するということは難しい。だが自分が愛されていること、自分の花びらに暖かい光が当たっていることを知れば、喜びのうちにそれを分け与えることも出来るだろう。シスターはそれが出来た方なのだったと思う。

愛でる

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

5月のさわやかな風に吹かれながら公園を散歩していると、あちこちでスズメの親子連れと出会う。巣立ってもすぐに自分で餌を探すことができないスズメの子どもたちは、しばらくのあいだ家族で行動し、親鳥から餌をもらって成長してゆくのだ。親鳥より一回りくらい小さな若鳥たちが、草むらで餌を探している親鳥のあとを、ちょこちょこと追いかけてゆくすがたは、なんとも愛らしく、見ていて飽きない。中には足が少し曲がっていてうまく歩けない子スズメや、毛がところどころ抜けてしまっている子スズメもいるが、そんな子スズメたちこそ、「がんばれ」と心から応援したくなる。どんな姿だろうと、精一杯に生きようとしている鳥たちの命は、それだけでたまらなく愛おしい。

神さまも、きっと同じようなまなざしで天国からわたしたちを見ておられるに違いない。自分では何もできない子スズメのようなわたしたちが、ときに転び、ときに迷いながらも精一杯に生きようとしているのを、神さまは天国からやさしく見守ってくださっている。そして、「がんばれ」と心からのエールを送り、必要なときには助けを与えてくださるのだ。

「何をやってもうまくゆかないし、こんなわたしでは神さまでさえ愛想をつかすに違いない」と、つい考えてしまうこともあるが、そんなことは決してないはずだ。何もできない子スズメたちでさえ、ただ精一杯に小さな命を生きようとしているだけで、たまらなく愛おしく見える。まして、精一杯に生きようとしているわたしたちを、神さまが見捨てることは決してないはずだ。子スズメたちに負けないくらい、命を輝かせながら毎日を生きてゆきたいと思う。


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