ところで、百年前、ポルトガルのファティマで、マリア様の出現を受けた3人の牧童たちは、夕暮れから日没にかけての時を好み、夜空に現れた星の数えあいをしながら、星を聖人たちのランプ、月をマリア様のランプ、太陽をイエス様のランプと呼んでいたそうです。彼らが、ポルトガルの日中の強い日差しに苦しんでいた所為か、彼らのお気に入りは、柔らかい光を放つ、マリア様のランプだったそうです。
私たちも、暗がりから明るい場所に移る時、突然強い光に遭うと眩惑されてしまい立っているのも困難になります。柔らかい光を放つものから、徐々に慣れていきたいと誰もが思っていることでしょう。と同時に私たちは、柔らかい光を放つ月は、太陽の光を反射していることを知っています。ファティマの牧童たちも、光の源は、太陽、つまりイエス様だと知っていたはずです。
正義の太陽であるイエス様の光を受けて、柔らかい光を放って下さるマリア様、あなたが、まだイエス様のことをよく知らない日本の兄弟姉妹たちを照らし、その光源であるイエス様へと導いてくださいますように。聖母月の月を愛でながら、そのように祈りたいと思います。
そこには誰の作品かわかる様に名札。子供たちが「見て見て、ぼくの作品。見て私のも。」と言っている様ですね。生けられた草花も「あの子がきれいに生けてくれたんだよ」と。
草花の美しさを眺め、生けた子どもの姿、その心を想う時、子どもたちが、草花と相対しながら、一生懸命に生ける姿も見えてくる、心も伝わってくる様に思います。花を生けたりする中、子どもたちの中に自然を愛する、生きとし生けるものを大切にする、愛でる心が芽生え、育ってゆくのでしょうね。
私たちの周りには、草花、木々、川や海、山や丘など様々な自然のものがありますが、毎日の慌ただしさの中、私たちが気づかず通り過ぎるものも多いのではないでしょうか。立ち止まる時、目を留める時、眺めるとき、愛おしく思う時、その存在や美しさに気づく自分がいて、草花や自然を誰が創ったのだろうと思い、創られた方に想いを馳せることも。
その様な時は、私たちにとって宝物のような時、気付き、出会いになるかも知れません。日常の中で、ふと手を止め、足を止めて、眺める時、過ごす時を大切にしたいですね。たとえほんの少しでも僅か一瞬でも。愛でる心を大切にしながら、持ちながら・・・。
今日の一日が、愛に満ちた一日となります様に。良い日となります様に。