愛でる

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

不思議なばあさまのおはなしです。

あの日、私はなんとなしに、山のお寺のばあさまに会いたくなってひょっこり訪ねたのでした。

天気のよい日で、ばあさまは庭で草取りをしておられました。私もお手伝いしましょう・・・・と、ふたりして黙々と草をむしっておりました。

しばらくすると、「おやつにしようよ」と声がかかりました。でもばあさまは庫裡のなかには入りません。

おやつはどこかな?と思っていると、ばあさまがおイモの葉っぱを三角形にまるめ、そこにクワの実を摘んでは盛って、「あんたもお食べよ」と、1粒ずつ口にいれています。わたしもさっそくばあさまの真似をして葉っぱのお皿にクワの実を盛りました。

「いただきます」

ちょっとブルーベリーみたいに甘酸っぱくて美味しい!

「ねー、わたしたちのいのちを生かしてくださるのだから、いただきます、ってすてきなご挨拶」ぽつりとひとこと。

あそこのお寺にさとりをひらいたばあさまがいる。そんなうわさが広まって、いろんな人が会いにくるようです。

でもみたところ、ごく普通のばあさまなのですけれど。

さて、クワの実のおやつをいただき、草むしりも一段落すると、ばあさまから思いがけないことをいわれました。

「あんたといるとたのしいよ。こんやは泊まっていきなさい」

え?私なんにもばあさまをたのしませるようなことしてないのに。

ふしぎな引力にひかれるように、ばあさまと一夜をともにしたのです。といっても、「さあ寝ましょ」といって、ばあさまは敷きふとんをくるくるまるめて、そのなかにすっぽりくるまって寝てしまい、わたしもしかたなくそのお隣でミノ虫状態。

ばあさまはなんと野性の子!

愛でる

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

職場に近い6畳一間の白い一軒家に、住んでいたことがある。毎日、朝、昼、晩と教会の鐘の音が聞こえた。そこでは持ち物を最小限にして、簡素に暮らした。小さな家の奥の窓を開けると土手があり、小さな梅の木があった。

ある年、梅の木の花が咲く頃に不思議な体験をした。梅の木に可愛いうぐいすが来て、「ホーホケキョ」と鳴いた。うぐいすの鳴く声がとても澄み渡って心地よかったので、グレゴリオという名前をつけた。「グレゴリオ~」と呼ぶと、うぐいすは自分の鳴き声を愛でられたのがわかるのか、すぐにまた、「ホーホケキョ、ケキョケキョ」と鳴いた。「グレゴリオ~」とまた呼ぶと、梅の木から、私の住んでいる小さな家の窓のところすれすれに飛んできて、翼を広げ、ブーメランのように梅の木に戻った。

この季節に母が上京し、私の小さな家に泊まった。朝、グレゴリオが「ホーホケキョ」と鳴いた。母が「あら、うぐいすが鳴いている」と言ったので、窓を開け、母と一緒に梅の木に止まっているうぐいすを見た。私は「グレゴリオ~」と呼んだ。すると窓すれすれに翼を広げて飛んできて、梅の木に戻った。母は「あのうぐいすはあなたのことがわかるのね」と言った。また「グレゴリオ~」と呼ぶと、またブーメランのように飛んできて、梅の木に戻った。

グレゴリオは、土手の後ろの古い建物が取り壊され、新しいマンションが建つことになり、解体工事が始まると来なくなった。しかし、母と二人で見たグレゴリオとの出来事は、神さまが造ってくださった植物や鳥を純粋に愛でたときに現れる、マリアさまの心だったのかも知れない。

「マリアさまの こころ それは うぐいす」という歌があるように。


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