2018年04月17日の心の糧


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新たな一歩

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ 長年身を粉にして働き続け、やっと定年を迎え、さあこれから定年ライフを楽しもうと身構えた瞬間、人間は時々予期せぬ不意打ちを喰らうこともあるようです。

「寂しくて寂しくてたまりません。」そう深刻に訴えてきた方がいました。仕事に追われていた間はそんなこと少しも考えなかったし、問題にもならなかったのに。こんなときどのように考えたらよいのでしょうかと。

定年こそ新たな一歩を踏み出すチャンス、そのためにどう考えたらよいか。この問いへの適切な答えはないものでしょうか。

 

考えてみれば、空しい寂しい、そんな想いを持つことのできる者はどうやら人間だけのようです。

犬や猫に聞いてみたわけではありませんので、確かなことは言えませんが、裏を反せば、こんな自分の中の欠落部分、空っぽの状態を痛みとして感じ得る構造を持った人間の偉大さに、まず気付く必要があるのではないでしょうか。

空っぽではどうにも我慢できない。その空っぽを埋めないと満足できない。こう感じ得る人間の凄さに感動出来たら、その時こそ新たな一歩への道が開けてくるきっかけになるのではないでしょうか。

定年ではなかったのですが、実はキリスト道の始まりそのものがこの空しさ寂しさ体験だったようです。

キリストの弟子たちの復活体験は実は空の墓体験であり、空しさ体験だったのです。その空っぽの墓の中で弟子ヨハネは力強く宣言します。

「見て信じた」と。(ヨハネ20・8)

何を見たのでしょう。明らかに空っぽの中に満ち満ちる充満を見たのです。

そうでなければ、今に至るまで世界に影響を及ぼすキリスト道の力強く新たな一歩を踏み出すことは到底できなかったでしょう。