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ゆるし・いやし

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ

ゆるしとは何か。いやしとは何か。理屈でその意味を追い求めることは人間としての当然の行為として、あってよいことだと思います。

しかし、意味はその字の通りあくまでも味ですので、味わうことによってしか捉えることはできないのだと思います。

ゆるし・いやしを実際に味わった方がその結果としてどのような行為に至ったのか。聖書はその典型の姿を描いてくれています。

ルカ福音書の7章に登場するうわさの女の行為です。

イエスがある人の家で食事をしていた時、そのうわさの女が入ってきました。

彼女は、男たちの蔑みの目をものともせず、高価な香油のツボを持ってきて、うしろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし、自分の髪の毛で拭い、イエスの足に接吻して香油を塗りました。

いくら何でも高価な香油を足に塗り、自分の髪でこれを拭うとは。

周囲が一種の薄気味悪さを持って見ていたに違いないこの行為こそ、イエスは赦された者の行為だと宣言されたのです。

「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる」と。(7・47)

おそらく、彼女自身も自分が何をしているのか、確たる意識はなかったのではないでしょうか。

周囲の目、羞恥心、香油の値段、相手の迷惑、ありとあらゆる自分を踏みとどまらせるものをいとも軽々と突破し、イエス・キリスト一点に解き放たれた姿。

これこそ赦され癒された者の姿だと宣言されたのです。

日頃、世の常識や周囲の目、自分のプライドなどにがんじがらめにされている自分を見せつけられるに付け、これほどに自分を解放することが出来るとは。まことにうらやましいかぎりです。