2018年03月31日の心の糧

主は生きておられる

シスター山本 久美子

今日の心の糧イメージ 主イエスが復活された朝、聖書に登場する女性たちは、空っぽの墓の前で「あの方はここにおられない」と告げられました。主イエスを死者の中に探してもおられないということです。

現代の私たちにも、主イエスは、今も、ここに、時間や空間を越えて、私たちの中に、私たちのそばに現存され、まさに生きておられるということを告げています。

ルカ福音書には、イエスが十字架上での最期を遂げ、落胆した2人の弟子が復活されたイエスに出会う信仰体験が語られています。

彼らは、救い主としてイエスに大きな希望をかけ、絶大な信頼を寄せていました。しかし、イエスの十字架上の死によって、その期待は無残にも裏切られてしまったのです。

彼らは、共に歩み、話しかけるその人が復活されたイエスだと気付かずに道を歩いていました。

「一緒に食事の席に着いた時、イエスはパンを取り、 ・・・パンを裂いてお渡しになった。すると2人の目が開け、イエスだと分かった」とあります。(ルカ24・30~31)

この2人は、それぞれの人生の中で共に歩んでくださる主イエスに気付かない私たちだとも言えます。今も、教会で、イエス・キリストの代理者である司祭が「パンを取り、・・・パンを裂いて」、共にミサを捧げる度に、私たちは、イエスの現存に新たに目覚めさせられ、目が開かれるように促されます。

主の「復活」は、二千年前に起きた単なる出来事ではありません。人間が避けて通ることのできないあらゆる苦しみや不条理な現実、そして死さえも越えて、主イエスは復活され、今も生きておられるのです。

主は、死の世界から、神の愛の交わり、新しい「いのち」に私たちを招くために復活された・・・これが、私たちキリスト者の信仰の核心なのです。

2018年03月30日の心の糧

日々の復活と希望

ハヤット神父

今日の心の糧イメージ 今日は聖金曜日。今日からの3日間は特にカトリック信者にとって、キリスト様のご受難、ご死去を想い起こし、そしてご復活をお祝いする大切な期間です。

ユダヤ人の大祭司たちは、キリスト様を殺せばキリスト教が滅びると思っていました。しかし、キリスト様は亡くなられて3日目に復活なさいましたので、弟子たちの信仰はますます強くなり、熱心に宣教したので、エルサレムから始まったキリスト教は、みるみるうちに世界の果てまで広がりました。この事によってキリスト教は復活の宗教だといわれています。

聖パウロの言葉によりますと、信者になるために洗礼を受けた時、私たちはキリスト様と共に死んで、キリスト様と共に復活します。つまり、それまでの罪がゆるされるだけでなく、新しい生命を受けて、超自然的に神様と結ばれます。

私たちの人生は復活の繰り返しです。毎晩寝る前に私たちはその日の恵みを神様に感謝し、反省し、悔い改めます。そして眠り、あたかも死んだ人のようになって、次の朝を迎え、新しい力を頂いて復活し、その新しい一日を神様に捧げます。また、カトリック信者は、毎日曜日にキリスト様のご復活を記念してミサ聖祭に与り、新しい1週間を神様に捧げます。

私たちはいずれ皆死にますが、それは肉体の死であって、本当の終わりではありません。信仰と愛に満ちた人たちは、キリスト様と共に永遠の生命を受けて、復活します。

私たちは誰でも、いろいろな苦しみを耐え忍ばねばなりませんが、その苦しみをキリスト様と共に犠牲として神様に捧げるなら、天国の終わりなき喜びに入ります。この意味で、キリスト教は復活の宗教であり、楽観的な宗教とも言えます。

今、この時を、積極的に明るく生きる人生にしたいものです。


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