ぬくもり

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

沢山の品物に囲まれ、大量生産、大量消費の時代に生きる私たち...。私たちの周りには様々なものがあふれている様に思いますが、品物の多くはおそらく機械で作られたもの。寒々とした印象を持つこともありますね。その様な中、街の中を歩いていて、お店の人が何かを作ったりしている姿を見かけると、ふと立ち止まってその姿にじっと見入ったり、その品物を買ってしまったことはないでしょうか。手作りに心が留まるのは、作っている人の暖かさ、心を感じるからなのでしょう。

しかしながら手作りでないものも、作られてゆく様子をイメージすると、色々なことを思い巡らすことができるでしょうね。きれいに正しく作られているか、目や手で確認している人の姿。作った品物を包み、梱包して、待っている人々のところへ「我が子」の様に大切に送り出してゆく人の姿などなど...。

そしてその品物をいただいた私、買った私、使っている今の私...。その品物の後ろには人の大切な思いがある...その様に思いを馳せてゆくと、私たちの身の回りにある全てのものに「ぬくもり」を見出し、「ぬくもり」を感じてゆくことができるかも知れません。そうなると全てのものが、大切なもの、愛おしいものとなってゆくのでしょうね。きっと。

もしその様になってゆくなら、今までは冷たく寒々とした様に見えていた、感じられていた世界は、暖かさに満ちている世界なのだ...と私たちの見方が大きく変えられてゆき、私たち自身、大きく変えられていくことでしょう。

今日も新たな一日が始まります。自分の回りを改めて眺めながら、見つめながら、私たちへの「ぬくもり」を探しながら、感じながら、過ごしてみてはいかがでしょうか?

ぬくもり

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

先日、幼友達から絵手紙が届いた。久しぶりに見る彼女の花の絵は伸びやかで、独特の丸い字もなつかしい。元気な様子が何より嬉しくて、その日は一日中胸がホコホコと暖かかった。時々電話で話しているのだが、こうして絵手紙をもらうと、彼女の手のぬくもりが直に伝わってくるようで余計嬉しい。絵を描いて、それに手紙の言葉を添えて、さらに私の宛名を書いて、ポストに投函した・・・、そんな手間をかけて時間を使った分、彼女の気持ちが凝縮されて伝わってきたのか、そしてそれを確かに受け取って、言葉を超えた深い交流が出来たからかもしれない。

ふと、春先のある日、公園のベンチに座ってゆっくり過ごした時のことを思い出した。デイキャンプのバーベキューエリアから家族連れの楽しげなざわめきが聞こえていた。明るい陽光が新緑の芽吹いた林や公園一帯を明るく照らしていた。いつもはこの公園をロザリオの祈りを唱えながら歩くのが日課なのだが、こうしてゆっくり時間を取ってベンチに座っていると、お日様の温もりがコートを通して体に伝わって心地良い。

その快さに浸って座っていると、心に詰まっていた厭なことや心配事が氷のように溶けて、何とも言えない楽しい気持ちになった。そして生き返った気分を味わったのである。

最近はスマホなどでカタカナの省略言葉が飛び交い、簡単に人とコミュニケーションが取れる。それは便利で有り難い事かもしれないが、物事があまりにせわしなく表面を滑って行く感じで心許ない。

時にはゆっくり時間を取って互いに話し合ったり、自分の心の奥の本心を見つめたり、自然の中に溢れる命のたたずまいに共鳴したりすることも大切ではないかな・・・と想ったのである。


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