2018年01月31日の心の糧

ぬくもり

新井 紀子

今日の心の糧イメージ 私たち夫婦が北海道へ移住するきっかけになったのは、Tさんという親友がいたからでした。彼女は私が暮らす大沼に住み、一緒に花見をしたり、誕生日を祝ったり、水泳を習いに通ったりしました。子供たちに絵画を教える先生でした。

Tさんが体調を崩したのは、昨年の春のことです。

「貧血がひどいの。食欲もないのよ」。

一人暮らしの彼女を心配した友人たちは、彼女の好物をいろいろと届けました。しかし、なかなか回復しません。

検査入院をすることになりました。結果は末期の胃がんでした。

見舞いに行くと、案外元気そうにしていました。看護師さんは、「お友達にはこんな笑顔を見せるのね。食事はちょっとも食べてくれないのに」。看護師さんが去ると、Tさんは言います。「ここの病院は、超一流よ。食事のまずさで」。

Tさんは、胃にステントを通す手術をしました。すると、いくらか食事がとれるようになり、退院したのです。食事がとれたのは束の間でした。秋になると、1人で歩けなくなり、再入院しました。見舞いに行くと、私と彼女はハイタッチをしました。色白の彼女の手は、すべすべしていますが、ひどく冷たいのです。私は両手で彼女の手を包み温めました。

秋も深まったある日、付き添っている娘さんから電話がありました。「母がこん睡状態です」。すぐに私は病院へ駆けつけました。「Tさん。Tさん」そっと呼びかけながら、彼女の手を両手で包み込みました。ゆっくりとぬくもりが広がっていくと、彼女の表情が和らぎました。なんだか微笑んでいるようです。

翌日、彼女は娘と息子に見守られながら、旅立って行きました。

私にはたくさんの思い出と共に、最期の手のぬくもりが残されました。

2018年01月30日の心の糧

ぬくもり

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ どんなに言葉を連ねても、言葉だけでは伝えきれないものがあるように思う。それは、人間のぬくもりだ。

言葉には相手を納得させ、感動させ、大きな気づきを与えて人生を変える力さえある。だが、どんなに美しい言葉を連ねても、人間のぬくもりだけは伝え尽くすことができない。

手紙をもらったときに、ワープロの文字だけしかなければ、ぬくもりはまったく感じられないだろう。たとえわずかであっても手書きの文字が書き添えられているとき、文字のクセやインクの滲みなどから、相手のぬくもりを感じることができる。書きながら落とした涙で文字が滲んでいるならば、ぬくもりはますます強くなる。人間のぬくもりを伝えるのは、言葉以外の何かなのだ。

一番よいのは、実際に会って、直接に話すことだろう。声や表情、身振り、そして存在そのものが、ぬくもりを確かに伝えてくれる。

神がイエス・キリストとなってこの世界にやって来たのも、きっとそのためだと思う。天使の言葉や夢の中のお告げだけでは、どうしてもぬくもりを伝え尽くすことができない。そこで、神は人間となってこの世界にやって来られた。イエスの声や表情、身振り、その額に浮かんだ汗や、頬を伝わり落ちる涙が、わたしたちに神のぬくもりを伝えてくれる。神が人間にならなければ、わたしたちはいつまでも神の愛を知ることができなかったに違いない。

神の言葉は、わたしたち人間の心に宿って愛となる。心に愛がやどっているなら、わたしたちの全身が神からの愛のメッセージだ。難しいことを考えなくても、声や表情、ちょっとした仕草など、あらゆることがぬくもりのメッセージとなる。

神の愛を受け止め、心に愛を宿すことからすべてを始めたい。


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