繋がり

松浦 信行 神父

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今から30年前、私が神父への勉強を続けていた頃、住んでいた修道院の教室で行われた、「いのちの電話」という電話相談のボランティア相談員になるための講習会に参加したことがあります。同僚がその相談員だったため、講義のみの特別配慮の受講でした。

講師の先生は、カウンセリングの専門の方で、その講義で様々なことを学びました。例えば、ヨハネ福音書の4章にある、イエスと罪深い女との会話は、イエスがとても素晴らしいカウンセラーだったことを証ししているのだそうです。その女性に寄り添いながら、ある時はすれ違いから相手の興味やこだわりを推察したり、関わりが出来た頃に相手にチャレンジしたり、興味の方向性の中でともに歩んだり、そして理想の世界へ導入したりといった、色々な要素を見つけることが出来ると指摘されました。さらに、現代の心理学から見ると、イエスの、人を見抜く力と、人に同伴する優しさは、現代でも通用するのだそうです。

そして最後に、講師の先生はこう締めくくってくださいました。「いのちの電話には、これから自死しようとする方からの電話も多いです。そして色々な対話の中で、電話を切らなければならない時が来た時、最後の手段として、こう語ることも出来ます。今度何月何日頃、またお電話くださいね。待っていますよと。すると、必ず約束した日までは自死しません。」そして講師の先生は最後にこう話されました。「しがらみによって自死に追いやられる人も、同じしがらみによっていのちが救われるのですね。人間は関わりの中で生きているということです」と。

この30年間、このことばの重みを噛みしめながら、私は日々過ごしてきました。

繋がり

村田 佳代子

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ある程度長く人生を過ごしてきますと、人の繋がりに驚かされ、つくづく「世間は狭い」と実感してしまいます。

私は医者の家に育ちましたので、子供の時から患者さんの出入りをみてきました。また、小さい時から習い事をあれこれしていましたし、学校も一貫校ではありませんでしたから、大人になるまでに普通の人より多くの人と会ってきたと思います。

その後50年近く人に教える仕事をしているものですから、顔や名前が思い出せる人は優に1千人を超えます。その中で思いがけない人々の繋がりを見聞きしてきました。身近にいる人なのに何年も繋がりに気付かない場合がある一方で、苗字を聞いた瞬間(もしかしてこの人は・・・)との勘が働き、すぐに繋がりが解る場合があります。すると瞬く間にとても打ち解け話題が広がります。するとその新しい話題の中で次なる人の繋がりが明らかになります。そして皆、苦笑いも含め笑顔になって「世間は狭い」「悪いことは出来ませんね」と頷き合うのです。

ところで私は洗礼を受けてから、誕生日を迎えるごとに、それまでの1年に初めて出会えた人との出会いに感謝し、次の新しい年にどんな思いがけない出会いが用意されているのか神様に祈り委ねます。

「神様はいつも私たちと共に居て下さって人との出会いの中で聖霊が働いて下さるのよ」と教えて下さったシスターの一言に、それまでの人生がいかに出会った多くの人に助けられ守られてきたことかと反省し、感謝のうちに洗礼を決意したからです。

それから50年が過ぎ、出会いの蓄積が網の目の様な繋がりになって私の周りに広がり、今後も生きている限り広がり続けます。

「人の縁」というこの繋がりは、神様のご計画なのでしょう。


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