繋がり

岡野 絵里子

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或る政治家の夫人の講演を聞いた事がある。夫人は障害のある子どもたちを支援する大きな団体を主宰していて、大変話術が巧みな方だった。子どもたちの映像を見ながらの講演は感動的で、聞いている人々は笑ったり涙ぐんだりした。まるで目に見えないロープが彼女のマイクから伸びて、会場の人々を繋ぎ、ぐいぐいと引き寄せているかのようだった。私は何だか興奮して夫人に協力したくなり、高額の寄付をしたくなった。私だけではなかったろうと思う。ところが、講演が終わって会場を出ると、不思議なほど熱は冷めた。そして数日もたたないうちに、熱意も関心も、何故か私の中から消えてしまったのである。

私の敬愛する詩人で、病気で療養中の方と文通をしておられる方がある。励ましが必要な方に手紙を送って交流しておられるのだ。フルタイムの仕事を持ち、家庭があり、詩人として原稿を書いた上での文通である。だから何人もの方に書けるわけではない。

そのうち一人の方の病気が進み、視力が弱くなられたので、手紙はカセットテープでの「声」の文通になった。視力が衰えて、どれほど辛かっただろう。そして自分を気遣って届けられた声に、どれほど支えられ勇気づけられただろう。この人がいてくれるから生きよう、と思ったのではないだろうか。手紙を送り合ううちに、2人の心は近づいてしっかりと繋がったのだ。

聴衆を熱狂させる話術も人を繋げることはある。だが本当に人を救うのは、時間をかけて育まれ、その人の喜びにも辛さにも寄り添う心の繋がりではないかと思う。

繋がり

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

人の繋がり方は家族、職場の上下関係等で、そのありようは違ってきます。その関係の中でも、冷たい関係、人情溢れる暖かい繋がりもありますが、この心の繋がりは複雑で、神秘的で、美しい愛だけで繋がっているとは言えません。

赤ちゃんは、当然愛情豊かな環境の中で育てられるはずですが、現実には、放置状態、ただ食べさせてもらうだけ、という悲劇もあります。そんな環境の中で育てられて大人になりますと、とかく心が不安定で、すぐ暴力をふるう人間に成長していく事例が沢山あります。本人も自分の心をどう処理したらいいか苦しみます。

さて、どんな良い環境で育ちましても、13才くらいになりますと、若者は生理的に混乱する年代を迎えます。混乱しがちな青春の心を、どう処理し何を大切にして生きていけばいいのか、若者は苦しみます。つまりアイデンティティの統合を、どの方向に繋げ、何を信じ、大事にしたら、この苦しい混乱感が統御されていくのかと苦しむ時代を迎えます。ここが人生の神秘的なところです。

私は高校2年生の時、ドイツの神父さんと偶然出会い、神様との繋がり方を、その神父さんから教えて頂きました。

洗礼という繋げ方は強烈な力を持ち、繋がると激流のような気づきが湧き出した記憶があります。信じると見えてくるものもあり、パイプが繋がったなあ、という感動を今でも鮮明に覚えています。

美しい恋人に遭遇したり親友が生まれたりしますと、そこに命の輝きがうまれてきます。

神の愛という大きな海に繋がり、その豊かな心が自分に流れ込んできますと、青春の混乱感が見事に整理され、生きる希望と喜びが湧き出しました。この、神さまに繋がった思い出は私の宝物です。


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