繋がり

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

あ~、今日も一人ぼっちかなぁ。自分が一人だけで生きていると思っているとしても、沢山の人に支えられ、大勢の人と関わりながら、私たちは毎日を歩んでいるのでしょうね。

日本の中で初めて行った町で、聞きなれぬ地元の言葉が人々の間に飛び交っていても、ふと、故郷の言葉が聞こえてきて、ほっとしたことはないでしょうか。また海外に行って、日本人を発見し、話さなくても、声を掛けなくても、親近感を覚えて見知らぬ街が、急に身近に感じられる様になった方もおられるでしょう。

相手の方との対話や、心と心の触れ合いがなくても、相手の方との共通点を見つけて、何となく繋がっていると感じ、支えとなって、歩むことができる私たち。ふとしたこと、ちょっとしたこと、何気ないことに支えられながら、歩んでいるのかも知れません。

そんな私たちですが、ひとと出会い、お互いに話し、触れ合い、自分という存在を受け止めて貰った時、大きく変えられてゆきます子どもの時からのことを考えてみると、母親、父親、家族、親戚、学校の友達、先生方、クラブ活動、習い事、職場の人など...。少しづつ繋がりが増え、その繋がりを大切にしながら歩んでいるのではないでしょうか。尊敬する方、憧れの方からの一言や、友人からの1本の電話、季節の1枚のハガキなどなど、どれも嬉しいものですね。

あなたは今、誰と繋がっているのでしょう。その繋がりを大切にしているでしょうか。たとえ会えないとしても、大切な相手のことを大事に想いながら、大切に想われながら、繋がりを大切に歩んでゆきましょう。また誰よりも私たちを大切に想って下さる神様のことも想いながら、想われながら、支えられながら...。

繋がり

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

私の父母は人とのつながりを縁という言葉で表していた。

どこの誰かわからない初対面の人であっても「うちん玄関に入って来た以上は縁があるとたい」といって、刑務所帰りの人であっても10年来の知己のようにもてなした。

我家には聖書はなかったが、当時の福江教会の松下神父さまが、学問のない人にもわかりやすく聖書を噛み砕いて教えてくれたのでそれをそのまま実行していたのだった。

知識ではなく、知恵の面で体得していたのである。

そんな我家であったから、我家を中心にして、五島の津々浦々から人が集まり、その人々は広くつながっていった。

我家で情報交換が行われ、どこそこの子どもが中学生になるから、学生服やセーラー服が必要となると、我家へつどった人たちが八方手を尽くしてそれらを手に入れ、我家の座敷で手渡してあげていた。

子どもが生まれたとなると、古い浴衣など木綿の布を持ち寄ってくれたし、年老いて身体が不自由になり、オムツが必要になると、また古い木綿の布を持ち寄ってくれた。

沖縄の諺に「奪い合えば足りないが、分け合えば余る」がある。

五島でも沖縄の諺がそのまま生きていたのだ。

縁にもいろいろある。思いついた縁を列記してみると、もちろん私の造語もいくつかあるが・・・。血縁、地縁、職縁、家縁、学縁・・・。しかし、今や血縁も地縁も薄れてきてしまった。さて、何が残るだろうかと、この数日、考えてみた。

思いついた。神縁である。

実は五島の我家もカトリックを縁とした人々の集まりであった。

神縁は永遠の縁である。


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