2017年11月30日の心の糧

私とロザリオ

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ こんなことをいうと神父様に叱られるかもしれませんが、私はあまりしばしばロザリオの祈りを唱えているとはいえません。ひとつは、多忙で繁雑な現実のなかで、一人ゆっくりロザリオに向かうゆとりがないという現実があります。もうひとつは、ロザリオに触れたとたん、すべての祈りがスッと放電して神様のところに行ってしまうような気がするからです。この時点で私は、長いロザリオの祈りを唱えるきっかけを失ってしまうのです。

けれども、ときどき大きなチャンスがやってきます。「眠れぬ夜」です。特に悩みがあるわけでもないけれど、蒸し暑いとか寝苦しいとか、旅先だったり、講演やコンサートの前の興奮状態にあるときなど、羊を数えても深呼吸しても、どうしても眠れない夜があります。

そんなとき、鞄をごそごそとかき回し、愛用のロザリオを取り出すのです。「アベマリア」の祈りの翻訳が大人になってから何度も変わったため、私はいまだに、初めて唱えた古文調の祈りが一番素直に出てきます。日本語の古文調祈祷には音楽性があるからかもしれません。

小さな十字架と円いツブツブが手に触れると、不思議に心が静まってきます。心のなかで1連から2連唱えると、たいていは意識が遠のいてきます。ロザリオを握ったまま眠りに就くこともあります。瞑想の課題として決められている聖書の場面が思い浮かぶこともあれば、その時々の重荷について考えが深まることもあります。何連唱えても眠れない夜も、沈静の恩恵には十分与れるのです。

長い祈りが難しいことはよくあります。そんなとき、眠れぬ夜にそっとロザリオを握り締めるだけでも、きっと祈りは授かるのではないかと、私はひそかに考えているのです。

2017年11月29日の心の糧

私とロザリオ

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ "ロザリオ"と言う言葉を聞かれても、何のことか分からない方が多いかもしれません。これは、カトリック特有の信心業、すなわち、お祈りの形や方法、そしてその道具を指しています。

ロザリオというのはバラの冠という意味です。仏教の数珠のようなものと想像なさればよいでしょう。10の珠がつながって輪になっています。カトリックの信仰では、救い主であるイエスの御母、聖マリアは特別な崇敬の対象になっています。礼拝と崇敬は違います。礼拝するのは、ただ三位一体の神さまだけです。聖母マリアをはじめ聖人たちは、信者の崇敬の対象に過ぎません。ですから、主なる神さまに対しては、「主よ、憐れみたまえ」と祈ります。しかし、聖母マリアには、「聖母マリア、わたしたちのために祈りたまえ」と唱えます。

太陽の光熱のように、神さまは私たちにすべての恵みや賜物などを、溢れるほど与えてくださいます。そして、聖人たちは、神への執り成しの力に優れています。したがって、イエスの母、聖マリアの執り成しは、ほとんどオールマイティーといえるでしょう。そこで、カトリック教会は昔から聖母を称える祈りを特別に大切にしてきました。その祈りは、ルカによる福音書の一章に記述されているように、主の天使が、ナザレのマリアの許に遣わされ、神の御子の御宿りを告げられた出来事に基づいています。西洋の名画「受胎告知」の絵に現されている場面といえば、おわかりになる方も多いかと思います。

「恵みあふれる聖マリア・・・罪深いわたしたちのために、今も死を迎えるときも祈って下さい。アーメン」

聖母のご絵の前で、10歳の私は毎日熱心に祈り、今も祈り続けております。


1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11