2017年10月25日の心の糧


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橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ 家族のため、会社のため、社会のため、身を粉にして働くこと幾年月、やっと花の定年を迎えてみたら、「粗大ゴミ」とか「濡れ落ち葉」とか、世の旦那様方が酷評された時代がかつてありました。

会社への出勤がなくなり、1日中家に居るようになると、その存在がうっとうしくなり、相応の評価がなされなくなったというわけです。

今はそのようなことはないのでしょうが、人はいつの間にか、何かができなければ、何かを持っていなければ、正当に評価されないという危険にさらされているのかもしれません。

誰もが通ってきた赤ちゃんの頃、何も持たず何も出来ず、ただそこにあるだけで最高に評価されていたあの頃は、単なる夢だったのでしょうか。

そんなはずはない。今でもその実力は失われてはいないはずだ、と思い直してみても「あなたがそこに居てくれるだけでいい」というねぎらいのことばはあまり期待できないようです。

幾年月懸命に働いて得たものはいくらかの退職金だけではなかったはずなのです。その間に積み上げられたその人ならではの存在感であり、その人が居なくなったということは会社にとっても永久喪失感に打ちひしがれても決しておかしくはないはずなのです。

問題は人間の価値がなくなったことにあるのではなく、人間の価値を評価する能力が、次第に失われてきたことにあるのではないでしょうか。

山登りが大好きな人に、危険が伴い、何よりも苦しい思いをせねばならない山登りをなぜするのかと尋ねると、「そこに山があるから」という答えが返ってくるとか。

十字架上で何もできず何も持たず、ただそこにあるだけになった時、「わたしはある」と高らかに宣言したお方もおられます。