誰もが通ってきた赤ちゃんの頃、何も持たず何も出来ず、ただそこにあるだけで最高に評価されていたあの頃は、単なる夢だったのでしょうか。
そんなはずはない。今でもその実力は失われてはいないはずだ、と思い直してみても「あなたがそこに居てくれるだけでいい」というねぎらいのことばはあまり期待できないようです。
幾年月懸命に働いて得たものはいくらかの退職金だけではなかったはずなのです。その間に積み上げられたその人ならではの存在感であり、その人が居なくなったということは会社にとっても永久喪失感に打ちひしがれても決しておかしくはないはずなのです。
問題は人間の価値がなくなったことにあるのではなく、人間の価値を評価する能力が、次第に失われてきたことにあるのではないでしょうか。
山登りが大好きな人に、危険が伴い、何よりも苦しい思いをせねばならない山登りをなぜするのかと尋ねると、「そこに山があるから」という答えが返ってくるとか。
十字架上で何もできず何も持たず、ただそこにあるだけになった時、「わたしはある」と高らかに宣言したお方もおられます。