2017年09月23日の心の糧


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年を重ねる

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ 年を重ねることを年輪を刻むとも言います。木の成長の仕方に重ねて人間の命の歳月を表現しようとの試みでしょうか。

十分に成長した木を輪切りにすると、あざやかな同心円が現れます。寒い季節暑い季節、身を引き締めて過ごした日々、少し緩めて通り過ぎた日々、その時々を記憶しかつ記録しつつ木は年を重ねてきたことが分かります。

人間の体の輪切り技術は驚異的に進んでいます。MRIとかいう機械にかかると人間の年輪ならぬ同心円的構造は一目瞭然です。

ついでに貯まりに貯まった脂肪分もごまかしようがありません。人間の体の歳月もまた年輪構造で記録されていくようです。

それでは人間が日々生きているいのちの歳月はどのようにして記憶され記録されていくのでしょうか。

ある日ある時、この形ある体の中心に、あたかも水溜りに石が投げ込まれるように、いのちが投入されました。この際、いのちが先か体が先かのややこしい詮索は止めておきましょう。

とにかく投げ込まれたいのちを私たちはいま生きています。

ただ、この私がいのちを生きているのか、いのちがこの私を生きているのか、というややこしい詮索はやめておきたいのですが、ここは少々こだわってみたい気がしてきます。

もし、そのいつか投げ込まれたいのちに一人の同伴者がおられたとしたら、しかもその連れ合いがイエス・キリストご自身であったとしたら、これはこだわりがいのある波紋を描くに違いないと思うからです。

私のいのちとキリストのいのちがみごとに重なった充実の日々、離ればなれのゆるゆるの日々、年輪のように記憶され記録されていくキリスト者のいのち。

年輪と輪切りと波紋、年重ねのイメージづくりの一助に。