私は24歳で長女を授かりましたが、妊娠が解った時、教授に子育て実験をする決意をお伝えしましたので、先生から1冊のノートを頂いていました。子供のベッドサイドに置いて、駆けつけるたびに印をつけるのです。初めて言葉らしい発声をしたときの音も書きとってあります。赤ちゃん日記の様なものですが、後で書くのではなく一瞬毎の記録なので、自分がどんなに慌てたか驚いたか、不安も喜びも初心者ならではの記録になりました。
教えないのに言葉の発達がはやく、気持ちを全身で表現する元気な子で、親に似たところもありますが、全く違う人格だと気付かされることの方が多く、神様が授けて下さったと実感する日々でした。
それから今日まで半世紀近くなりましたが、親が謝ることの大切さ、子供の可能性を信じ、老いていなくとも子に従っていい場合があるということを、度々体験しました。次女の時には、別の体験があり、「子育ての実り」は人生の賜物です。
子どもたちは、色々な物事に興味を持ち、同じようにやってみよう、真似してみようと思うのでしょう。女子会をしていた子たちはそれぞれ何を想っていたことでしょうか。
私たちは見たり聞いたりしながら、成長します。特に子どもにと って身近な人の存在、その行いや言葉はとても大きいですね。何気ない言葉、行動も伝わってゆきます。人の存在のすべてをもって、子育てをしていると言っても過言ではないかも知れません。
私たちは、大切にしたいものや、人に伝えたいものを自分なりに持っているでしょうか。そのことを子どもたちや人へ伝えようとしているでしょうか。私たちが伝えようとして生きてゆくなら、大切なものは、きっと大切な人へ伝わってゆくでしょう。もしかすると芽が出て実るのは、ずっとずっと先のことかも知れませんが。
慌ただしく「今」の時を生きている私たちですが、歩みを止めて子どもたちや身近な人々とともに大切なことについて話をし、互いに話し合ったりする時間を持ってみてはいかがでしょうか。たとえ短くてもその様な時は、私たちにとってきっと豊かな恵みの時、実りある時となるでしょう。