しかし、両親にとって私を育てた最大の実りは、私が自己実現できたことよりも、楽しく日々を過ごす技術と、苦しい中でもプラスのベクトルを探す前向きな性格を身に付けたことだと思います。なぜなら、母は常に、私が「楽しく生きられる」ことを揺ぎ無い最優先基準に据えて導いてくれたからです。
障害に伴う様々な困難に直面し、私は親にずいぶん心配をかけました。健常な子どもには必要のない付き添いや参考書の朗読・点訳など、苦労もかけました。でも、2冊目のエッセイ「そっと耳を澄ませば」が日本エッセイストクラブ賞を受賞したとき、あらためてそれまでのサポートにお礼をいうと、母はこう言ったのです。
「あなたを育てることは、とても楽しかったわ。青春を2度過ごせたようだったし、あなたががんばるから、楽しみが2倍になったと思う。社会人になってもあなたは夢を叶えようとしている。一緒に過ごせる日々に感謝しているわ」
結果だけに目を奪われず、楽しく豊かに日々を生きる。親が示してくれたこの基準は、いまも私の指針となっています。
そして講演や講義で教育の場に関わるとき、私も大人として、人間としての基準をしっかり持って人材育成に当たります。それが、社会の実りになると信じて。
そこで今も驚いていることが、彼らのうち、少なからぬ人が大学の教員になっていることです。私は、大学の教員でしたが、同時に神父でもありましたので、学者でも研究者でもなく、単なる教育者や伝道者にすぎませんでした。にもかかわらず、わたしの講座の出身者の多くが、大学や学校の教員になっているというのは、彼らの言によれば、わたしの話し方や教育論が、当時、若者であった彼らの気持ちを奮い立たせ、教師となって、若い人たちを教育しなければという思いに駆り立てたというのです。
これもまた、子は親の姿を見て育つではないが、教師の姿が生徒たちの幾人かでも、教師という職業に就かせたとすれば、わたし自身はそれを全く意図しなかったとしても、子育ての実りといえるのではないでしょうか。
講座クラスの生徒たちに聞くと、「越前先生のような先生に自分もなりたかった」という声を聞いたことがあります。
わたし自身は、拙い伝道者や教育者にすぎませんが。