子育ての実り

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

私が初めて赴任した教会には、付属の幼稚園がありました。主任司祭の勧めで、春の苺狩りに、私は子供達と親御さんと一緒にバスに乗って出かけたのです。

畑に着くと、子供達は一斉に籠を受け取り、畑に一目散に走り出しました。しばらく経った時、ある女の子が、青い苺や小さい苺まで籠に摘み取っているのを見つけ、「小さいのはもう少し待ってあげたら良いね」と言おうとしたそのときです。隣を見ると、その子供と同じように、青い苺や小さい苺を摘み取っているお母さんを見つけました。親の仕草や雰囲気が、着実に子供に伝わっていくのだなあと心に焼き付けた瞬間です。

この苺の話と一緒に、覚えている話があります。

日本に難民で移住してきたあるベトナム人の父と子の話です。

その家庭に私が夕食に呼ばれた時のことでした。小学校6年生の男の子の両親が私に「この前、大変なことがありました。私たちの子供が中学受験をしたのです。子供は大変自信を持って受験したのですが、落ちてしまったのです。その夜、子供は自分の部屋から出てきません。つらくてずっと泣いているようなのです。」それで、夫婦で話し合い、お父さんが子供の部屋に入り、「久しぶりに一緒に寝よか。お前の悲しみを聞いてあげるよ」と子供が疲れて寝てしまうまで、子供と会話を交わしたのだそうです。

そしてその次の日に、男の子は「お父さん昨日はありがとう!こんどは頑張るよ」とさわやかな声で話したのだそうです。

きっとこの体験は、この子の宝物になるに違いない、そのときの体験をきっと自分の子供にも伝えるに違いない、そう私は思ったのでした。

子育ての実り

小川 靖忠 神父

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「三つ子の魂百まで」と言われる。子どものころの性格や性分は生涯変わることはないというたとえである。その人の「人となり」は成長こそすれ、変わるものではないということであろうか。

このことを意識し、見据えた子育てを実践している親御さんが、はたしていかほどいるだろうか。いい成績を残すことが、即、子ども本人のためになっているのかわからないが、少なくとも、そうあってほしいという願いのもとに塾通いを推し進める。

人としての評価は、先のことわざに表現されるように、「人となり」に負うところが大である。であれば、学業もさることながら、人としての成熟度はもっと大事になってくる。

幼いころの育ちは、親御さんの立ち居振る舞いが、育ちの「教師」になる。いわば、「子育て」は「親育ち」と表裏一体ということができる。

そもそも大人と子どもはちがう。したがって、考えること、感じることも違ってくる。つまり、人にはそれぞれ、その時期、年齢にしか見いだせない成長段階があるという。その時を逸すると、完成されないまま通り過ごしてしまう。だから、幼児期の「子育て」は十分な配慮が必要なのだと言われる。

いつの時代もそうであろうが、人の育ちの教科書は、親であり、教師であり、大人であり、先輩であり、仲間であろう。すなわち、自分の身近で、「生き字引」とのかかわりができるということである。

イエスの弟子たちには、「イエスさま」がいた。そのかかわりの実りが、弟子たち自身の生涯に表現されている。イエスの言動のすべてが、「弟子育て」であった。

さて、今のわたしの育ちの実りはいかほどであろうか。人として信仰者として。


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