子育ての実り

小川 靖忠 神父

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「三つ子の魂百まで」と言われる。子どものころの性格や性分は生涯変わることはないというたとえである。その人の「人となり」は成長こそすれ、変わるものではないということであろうか。

このことを意識し、見据えた子育てを実践している親御さんが、はたしていかほどいるだろうか。いい成績を残すことが、即、子ども本人のためになっているのかわからないが、少なくとも、そうあってほしいという願いのもとに塾通いを推し進める。

人としての評価は、先のことわざに表現されるように、「人となり」に負うところが大である。であれば、学業もさることながら、人としての成熟度はもっと大事になってくる。

幼いころの育ちは、親御さんの立ち居振る舞いが、育ちの「教師」になる。いわば、「子育て」は「親育ち」と表裏一体ということができる。

そもそも大人と子どもはちがう。したがって、考えること、感じることも違ってくる。つまり、人にはそれぞれ、その時期、年齢にしか見いだせない成長段階があるという。その時を逸すると、完成されないまま通り過ごしてしまう。だから、幼児期の「子育て」は十分な配慮が必要なのだと言われる。

いつの時代もそうであろうが、人の育ちの教科書は、親であり、教師であり、大人であり、先輩であり、仲間であろう。すなわち、自分の身近で、「生き字引」とのかかわりができるということである。

イエスの弟子たちには、「イエスさま」がいた。そのかかわりの実りが、弟子たち自身の生涯に表現されている。イエスの言動のすべてが、「弟子育て」であった。

さて、今のわたしの育ちの実りはいかほどであろうか。人として信仰者として。

子育ての実り

シスター 山本 久美子

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シスターである私には、子育ての経験はありません。しかし、友人や職場の同僚たちが、子どもを授かり、出産し、子育てをする様子に感心したり、感動したり、不思議に思ったりすることが度々あります。そして、何よりも子どもが育っていく過程もさることながら、子育てを通して、人が「親」に成長していくプロセスは素晴らしいと思います。「子育て」は「親育て」と感じます。

シスターになる前、年上の女性からハッとさせられることを言われました。「シスターは、自分の子どもを産んだり、育てたりすることがないから、意識的に大人になるための心がけが必要」というアドバイスでした。修道生活を続けていますと、その人が言わんとしたところが身にしみてわかるように思います。

母親になっている友人たちは、無理なく子どもや家族を中心に考えることが身についていると、折に触れて感じます。シスターの場合は、自分の家族でなく、神様を中心にした霊的なつながりを大切にし、何時でも何処でも、自由にあらゆる意味での隣人、他者に奉仕することを考えるはずです。

しかし、現実的には自己中心的になりやすく、自分の時間や都合を優先させてしまう誘惑に度々遭っています。

シスターであるが故に心を開き、助けを求めてくださる人々の出会いを大切にし、喜んで時間や労力、神様からいただく賜物を分かち合っていくこと。時には、苦い思いをしたり、自分の都合を後回しにしなくてはいけないことがあったりしても、そういうことが、神の国の実現のために、血縁関係を越えた愛の交わりに招かれる、奉献生活者としての使命であり、それに応えていくことが「実り」だと思っています。


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