子育ての実り

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

最近、子どもの貧困をテーマにした本を読んでいたら、小学5年生にして、初めて、靴下を履いた少女の記録が載っていた。

実母はいたが、いわゆるネグレクトで、可愛がられた思い出は全くないという。

みかねた周囲の人が福祉施設に入れるようにしてくれ、そこで、初めて寮母さんに靴下を履かせてもらったという。が、足の裏はかさかさなので、寮母さんがやさしくクリームを塗ってくれた。

そのやさしい手の感触こそがその少女にとって、母親の愛情とはこんなものかと感じたらしかった。実母ではなく、他人の寮母さんに母を感じたのであった。

私は何も血のつながりがあるから親子だとは思わない。血はつながらなくても、愛があれば、乾いた心、固い心や冷たい心にも愛が浸透し、やがてはうるおわせると思う。

養護施設で働くシスターに聞いた話も忘れられない。

小学生の男の子は施設に入ってしばらくは靴を脱いで寝ることができなかった。

親の借金のため、いつも追われる身で、いつすぐに逃げなければならないかわからないので、夜も靴を履いたまま眠るのが習慣だった。しかし、シスターのあたたかく深い愛情が男の子を包み、安心が心身に広がり、靴を脱いで眠れるようになった。

砂漠の中にみつけたオアシスのような場所であり、人との触れ合いであっただろう。

些細な出来事かもしれないが、子育ての大きな実りだと私は思うのである。

一生涯、人を信じたり、愛したりを出来ない将来だったかもしれない少年少女に人間らしい喜びが芽ばえたのだから。

血はつながらなくても立派な子育ての実りなのだ。

子育ての実り

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

私が初めて赴任した教会には、付属の幼稚園がありました。主任司祭の勧めで、春の苺狩りに、私は子供達と親御さんと一緒にバスに乗って出かけたのです。

畑に着くと、子供達は一斉に籠を受け取り、畑に一目散に走り出しました。しばらく経った時、ある女の子が、青い苺や小さい苺まで籠に摘み取っているのを見つけ、「小さいのはもう少し待ってあげたら良いね」と言おうとしたそのときです。隣を見ると、その子供と同じように、青い苺や小さい苺を摘み取っているお母さんを見つけました。親の仕草や雰囲気が、着実に子供に伝わっていくのだなあと心に焼き付けた瞬間です。

この苺の話と一緒に、覚えている話があります。

日本に難民で移住してきたあるベトナム人の父と子の話です。

その家庭に私が夕食に呼ばれた時のことでした。小学校6年生の男の子の両親が私に「この前、大変なことがありました。私たちの子供が中学受験をしたのです。子供は大変自信を持って受験したのですが、落ちてしまったのです。その夜、子供は自分の部屋から出てきません。つらくてずっと泣いているようなのです。」それで、夫婦で話し合い、お父さんが子供の部屋に入り、「久しぶりに一緒に寝よか。お前の悲しみを聞いてあげるよ」と子供が疲れて寝てしまうまで、子供と会話を交わしたのだそうです。

そしてその次の日に、男の子は「お父さん昨日はありがとう!こんどは頑張るよ」とさわやかな声で話したのだそうです。

きっとこの体験は、この子の宝物になるに違いない、そのときの体験をきっと自分の子供にも伝えるに違いない、そう私は思ったのでした。


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