2017年08月31日の心の糧

時を待つ

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ だから目を覚ましていなさい。お前たちはその日、その時を知らないからである。」

このマタイ福音書25章13節の「10人の乙女」のたとえ話は私にとって人生を支える大切な警句です。

大きな災害や突然の事故、未知なる人との出会い、人生の転機などは、ほとんど全て予期せぬ事態です。その時、恐れたり、慌てたり、逃げたり、受け入れ難いという反応になるのが普通でしょう。

しかし、このたとえ話は、何事も試練として受けとめ、試練を乗り越えることで学び、チャンスを生み育てていける人こそ、まさに目を覚ましている人なのだとしています。

この「10人の乙女」の話を初めて聞いたのは、日曜学校で小学生の時でした。「油を分けて」と頼む愚かな乙女に対し、即座に「分けられない」と拒絶するのは賢い乙女らしくない、賢いなら工夫して灯りを小さくし、油を分けて何とか共に持たせることも出来るのではと考えたり、"目を覚まして"のところで、両方の乙女共皆、眠気がさして寝てしまったのにとか、到着が遅れた花婿に責任があるなど、その時、子供達は自由に発言しました。

先生は何も解説なさらないまま、一言「皆さん、大切な所を飛ばしてはいませんか。天の国は、次のようにたとえられるという最初の所です。大人になるまでくり返し思い出し考えてください。」とおっしゃったのです。

やがて花婿こそが天の定めた時であると理解し、油の用意は各々本人でなければ出来ないことを自覚しました。

今日生かされていることに感謝し、1日を充分に成すべきことをはたしていき、天の国を信頼し時を待つことが出来れば、何の恐れも憂いも無く人生を全う出来るはずです。

2017年08月30日の心の糧

時を待つ

植村 高雄

今日の心の糧イメージ 「時を待つ」と云う考え方が私を救った事もあれば、待ったばかりに大失敗したこともあります。

今、行動に移すべきか、或いは待つべきか、その選択肢に迷うのが人生のようですが、この考え方は人の知恵と努力を削り取る場合もあります。重い病気の回復は時が必要ですし、倒産による失業時の次なる職業選択は、貯金通帳の金額いかんで決めなければなりません。

さて人生は色々の夢がないと面白くありません。真剣な夢ほど、その実現の時が気になりますが、私は不思議な現象を沢山体験しました。夢が実現しますようにと気楽に神様に祈る習慣が私にあります。神様は中々、その夢を実現させてくれませんでしたが、数十年単位で過去を振り返りますと、神様がその当時、その夢を実現させてくださらなかった理由が明確化されてきました。

あの当時、あの祈りを聴き遂げて下さったら、今、非常に困る事が沢山あるからです。今にして思えば、神様が実現してくださらなかったことを感謝しているのです。

例えば「心理療法の勉強が厳しくてもうダメだ、止めさせて下さい」とか、「あの綺麗なアメリカ娘と結婚させて下さい」とお祈りを捧げたりしました。現在の心理療法という職業は私の生命そのものになっていますし、そのお嬢さんは、恐ろしい事件に関わっていた事が後で判明しました。

「求めよ。さらば与えられん」なんて嘘ではないかとぶつぶつ文句を言った私が恥ずかしく感じます。弱い私はこれからも遠慮なく神様にお願いをするつもりですが、最近は、神様が私に願いを叶えて下さる時があることを経験で知る事が出来ました。「私の願いの時」と「神様が叶えて下さる時」が違う事を知りました。この「時の違い」はどうも神様の愛が原因のようです。


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