2017年06月07日の心の糧

繰り返し

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ 先日、視聴者によってビデオに収められた、鴨の親子の行進行列がテレビで放映されていました。母鴨が先頭を行き、その後に10匹の子鴨が続いていました。親子が、舗装された車道を横切った時に事件が起こりました。母鴨は、車道から段差のある歩道へと難なく移りましたが、残る10匹の子鴨は、体が小さい為、段差のある歩道へと中々移ることができません。その内、6匹の子鴨は何とかして一段高い歩道へと飛び移ったのですが、残る4匹は、どうしても歩道へと移れません。諦めかけたその時、4匹の子鴨たちが、驚くべき行動を取りました。周囲を見回しながら、車道と歩道が同じ高さになっている所を発見し、そちらへと回り道をして、何とか母親について行きました。

この動画を見た時、パウロの言葉を思い出しました。「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます」。(1コリント10・13)

私は、最近、問題が重なり山のようになる時、「この山の向こうへ行くには、どうしたら良いだろうか」と思案することがあります。以前であれば、山の前で呆然として、へたっていた自分ですが、今は、何か抜け道があるはずと考えるのです。

パウロは言います。「私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」。(ローマ5・3~4)

繰り返し苦難に遭っても、繰り返しそれを乗り越えさせて下さる神様の恵みに気づく時、私の心の中に希望が湧いてきます。

2017年06月06日の心の糧

繰り返し

堀 妙子

今日の心の糧イメージ カトリックには自分の罪を司祭に告白し、司祭からキリストに代わってゆるしていただく「ゆるしの秘跡」がある。告白したら、償いの助言を受け、再び主イエスの元に帰る。

ある時、司祭に自分の罪を告白して、償いのわざを勧められた。通常は「主の祈り」1回、「アヴェ・マリアの祈り」3回ほどなので、すぐに汚れた皿をきれいに洗うようなつもりだった。しかし、司祭の償いは「あなたと出会う人が、あなたより成功するように祈りなさい」というものだった。これは「あなたと出会う人が」というと1回なのか、ずっとなのかわからない。もう一度、償いの回数を聞きたいと思ったが、ここは祈って神さまの意見を聞いてみることにした。

「神さま、"あなたと出会う人が、自分より成功するように祈りなさい"といわれたけれども、何回でしょうか?」と祈った。

すると、主イエスにペトロが「兄弟を何回赦すべきでしょうか」と聞いたところが心に響いた。「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」。つまり490回・・、これなら私が今から死ぬまで出会う人が、自分より成功するように祈るのと同じではないかと思った。

本当に嫌いな人と、すれ違う時に目を閉じて、無理やり祈った。この祈りは、たちどころに聞き入れられ、嫌な人が素晴らしい仕事をした。

「イエスさま、ずいぶんじゃありませんか。私は小さなミスをたくさんして、信用をなくし、あのイヤなやつは有頂天!」。

しかし、なぜかあの「ゆるしの秘跡」の償いのわざは忘れようと思っても、私の心に住みついてしまった。あれから毎回、心中穏やかではないが、繰り返し繰り返し、祈っているうちに、十字架刑にあった罪のないお方の復活の命に与っていることに気づいた。


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