繰り返し

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

カトリックには自分の罪を司祭に告白し、司祭からキリストに代わってゆるしていただく「ゆるしの秘跡」がある。告白したら、償いの助言を受け、再び主イエスの元に帰る。

ある時、司祭に自分の罪を告白して、償いのわざを勧められた。通常は「主の祈り」1回、「アヴェ・マリアの祈り」3回ほどなので、すぐに汚れた皿をきれいに洗うようなつもりだった。しかし、司祭の償いは「あなたと出会う人が、あなたより成功するように祈りなさい」というものだった。これは「あなたと出会う人が」というと1回なのか、ずっとなのかわからない。もう一度、償いの回数を聞きたいと思ったが、ここは祈って神さまの意見を聞いてみることにした。

「神さま、"あなたと出会う人が、自分より成功するように祈りなさい"といわれたけれども、何回でしょうか?」と祈った。

すると、主イエスにペトロが「兄弟を何回赦すべきでしょうか」と聞いたところが心に響いた。「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」。つまり490回・・、これなら私が今から死ぬまで出会う人が、自分より成功するように祈るのと同じではないかと思った。

本当に嫌いな人と、すれ違う時に目を閉じて、無理やり祈った。この祈りは、たちどころに聞き入れられ、嫌な人が素晴らしい仕事をした。

「イエスさま、ずいぶんじゃありませんか。私は小さなミスをたくさんして、信用をなくし、あのイヤなやつは有頂天!」。

しかし、なぜかあの「ゆるしの秘跡」の償いのわざは忘れようと思っても、私の心に住みついてしまった。あれから毎回、心中穏やかではないが、繰り返し繰り返し、祈っているうちに、十字架刑にあった罪のないお方の復活の命に与っていることに気づいた。

繰り返し

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

繰り返しとは、同じことを反復することです。

「歴史は繰り返す」とは良く言われる事です。確かに過去の出来事と同じような事件が起きたり、政治の流れが、ある時代と似た傾向になるというようなことはありますが、歴史上全く同じことが起こったなどということはありません。

一方、音楽の演奏においては、楽譜に2本の縦線の前に2つの黒点を付けた繰り返しの記号があり、記号に挟まれたメロディーを全く同じに繰り返して演奏します。演奏者のタイプによって、サラリと軽く繰り返す人と、丁寧に繰り返すことで更なる高みを望むかのような演奏をする人がいます。曲目によってどちらの方が良いとは一概にいう事はできませんが、此の事を私たちの日常に置き換えてみましょう。

平凡な毎日の暮らしは一見繰り返しのようですが、例え行動の時間や場所、内容がほとんど同じであったとしても、心持は微妙に変化しているものです。

まして、学問や技術や技能の世界において、人は地道な繰り返しを積み重ねることによって進歩してきたのです。そこには、繰り返すたびにより良い方法を工夫したり、じっと考えたり試したり努力があったはずです。

こうして長い間一つ事を繰り返し行う結果、いつしか決まりやしきたりのようになって身につくのが習慣というものです。日曜日のミサに預かる事、食前の祈りや就寝時の祈りなど、繰り返しから良い習慣として身に着いたことが沢山ありますが、時々慣れになってはいないかと反省することが必要だと思います。

良い習慣を守っているからといって、聖書にあるファリサイ人のように傲慢にならぬよう、心の貧しさを自覚し、日々を歩んでいきましょう。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13