さて「繰り返し現象」には実に深い意味があるようで、子供の学習、武道の修行、歴史上の大戦争もありますが、私がいつも不思議に思いますのが「人間の愛の世界」です。
ギリシャ神話、日本の神話、あちこちの古くからの民話、美しい愛もあれば、暗く陰湿な愛の世界もあります。旧約聖書にも人々を涙と感動にさそう愛の世界もあれば、おぞましく不気味な愛の世界もあり、文学、絵画、音楽の世界でも大きなテーマが人間の愛の世界です。
スコットペックという心理学者は、名作「愛と心理療法」の中で「愛は訓練なり」と論説を展開し、人の愛は生まれながら、そう簡単に愛を身につけられるものではなく、日々の訓練によってしか完成されないと断言しています。
学校を卒業し社会に飛び込んだ若者は、職場、交友関連で今まで遭遇したことのないタイプの大人と出会い、混乱と自信喪失に陥りますが、職場で不信感、恥辱、疑惑、劣等感、孤立感、絶望感を味わっても、それは愛の訓練だと思い、乗り越える時、その体験の蓄積は若者を強く逞しく成長させます。
「地球の小さな生命が人類になった」ように素晴らしい愛の世界が自分のものとなるようです。「愛は訓練なり」という言葉は「愛そのものである全知全能の神様」からの贈り物のようです。
この動画を見た時、パウロの言葉を思い出しました。「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます」。(1コリント10・13)
私は、最近、問題が重なり山のようになる時、「この山の向こうへ行くには、どうしたら良いだろうか」と思案することがあります。以前であれば、山の前で呆然として、へたっていた自分ですが、今は、何か抜け道があるはずと考えるのです。
パウロは言います。「私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」。(ローマ5・3~4)
繰り返し苦難に遭っても、繰り返しそれを乗り越えさせて下さる神様の恵みに気づく時、私の心の中に希望が湧いてきます。