2017年06月30日の心の糧

年を重ねて

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ 歳を重ねる、ということを自分のこととして、ありがたいと最近思いました。というのは、先日遠藤周作さんの「沈黙」を映画化したものを見ましたが、そのときに、自分にとってはとても大きな発見がありました。昔、あの本が出た頃、大学出たての私はあの本を読んで、主人公に付かず離れずついて回るキチジロウという男のことを、あの頃の私は、なんだかとても汚らしい、嫌だと思った覚えがあるのです。

ところが、今度は、確かに汚いのですが、そうではなかったのです。自分にも、人に言いたくないような嫌なところがあるのだということをわかっているからでしょうか、なんだかあの男が嫌ではなかったのです。ほとんど原作に忠実に描いていて、とてもいい映画だと思いましたし、日本についても、実によく愛情を持って描いている監督だと感銘を受け、遠藤さんは良い作品を残されたと改めて思ったのです。監督は、本当にあの作品を、そして、日本のキリシタンを大切に思っておられるのだと思いました。

考えてみれば、かくれキリシタンという方たちは、皆、あのような方たちの子孫でしょう。一方で、あの有名な日本信徒再発見という出来事、長崎の大浦天主堂で「マリア様の御像はどこ?」と名乗り出てきた人たちも、そうして、だいじに、だいじに、信仰をまもり続けてきたのだと思うのです。なんということでしょうか。

昔、あの小説を書かれた頃に、遠藤さんがどこかでお話をなさったときに、後で女学生が「私は澤野忠庵の子孫です」と名乗ってこられたと聞いたことがあります。あのフェレイラです。遠藤さんはどんなに驚き、そして感動されたことでしょうか。

2017年06月29日の心の糧

繰り返し

土屋 至

今日の心の糧イメージ 今から40年ほど前、私は製本工場で働いていた。その工場では1日に4万5千部の新聞を作って発送していた。その新聞はページ数が一定ではなく、今日は6ページ、次の日は16ページと日替わりで変わっていた。

8ページや16ページのときは機械で4つ折りや8つ折りに折ったものを裁断すれば仕上がるが、6ページや12ページのときは、2つ折りや4つ折りにしたものに、紙を挿入しなければならない。

あの頃はそれを全部手作業でしていた。4人くらいで4万5千部の本を作る。たとえば6ページの新聞の場合には、2つ折りに折ったものの中に、数を数えながら1枚の紙を挿入し、それが2百50部ずつまとまったら、そろえて区切って重ねていく。それを1万回以上繰り返す単調な作業である。

この単調な繰り返し作業の間、頭の中は何を感じ何を考えているのだろうか? つまりどのような状態なのか?

 

まず気づくことは、この間、体は拘束されて自由をもっていないが、頭のなかは結構自由であるということ。あれこれと思いをめぐらし、想像力が思いのままに世界を描き出す。この世界に入り込めるならば、時間はあっというまに過ぎ去る。

しかし、時間は意地悪い。この時間をつらい時間ととらえ、早く過ぎ去ってほしいと思えば思うほど、実は時間は遅く長くなる。逆にこの時間がいつまでもここにとどまってほしいと思えば思うほど、時間は速くなる。時間は意識すればするほど長く、忘れれば忘れるほどに短く速く感じる。無我夢中の時間はあっというまに過ぎ去るのである。

祈りと労働は親和性が高い。中世のはじめのころ、ベネディクトが修道院を作ったときのモットーが「祈り働け」であったのは、こういうことだったのだと思った。


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