2017年03月31日の心の糧

それでも感謝

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ 私たちは人に親切にされた時、頼み事をしていて、期待通りかなえられた時、何か好物を頂戴した時、それぞれ「有難う」と感謝の気持ちを伝えます。ところが「それでも感謝」という題を頂いて、これは素直に感謝するということとは、微妙にニュアンスが違う難しい題だと感じました。なぜなら「それでも」の「でも」は逆接を表す言葉だからです。本来取り立てて感謝とは云わない、当たり前の事にも感謝するという事でしょうか。又は、納得のいかない状況にあっても、感謝せよという事なのでしょうか。そこで聖書にヒントを求めました。

聖書には、一見納得のいかないような話を、イエズス様が集まった群集に対して、話していらっしゃるという場面がいくつも出てきます。例えば、最後に来た人が天国では最初の席に着くという話や、持っている人には更に与えられ、持たない人は持っていると思っていた物迄、取り上げられる、というような言葉です。イエスズ様が群集に話している所に、母と兄弟が訪ねてきて待っていたが、取り次いだ人に対し「私の母と兄弟とは誰のことか」と云われた場面は、「誰でも私の天の父の意思を行う人が、私の兄弟、姉妹、母なのだ。」(マタイ12・48~50)と続くので、イエズス様の想いを理解することが出来るのですが、この時の待たされたままの聖母マリアの胸の内はまさに「それでも感謝」であったのではと思います。

私たちの日常は喜びも悲しみもあり、忙しさゆえに折角のチャンスを、取り逃がすこともあります。健康に気を付けていても病気や怪我もあり、幸運な出会いの反面、淋しい別離もあります。それでも、今日があり、生かされている事に感謝して人生を全うすることで、天国に到達出来るのですから、「セラヴィ!それでも感謝」です。

2017年03月30日の心の糧

それでも感謝

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ 私たちは感謝のことばとして「ありがとう」ということばを持っています。日頃何も考えず、当たり前のことばとして使っています。

その意味を辿れば「ありがたい」ということであり、あるのがとても難しいという意味になります。普通に考えればとてもあるのが難しいことが起ったということを、宣言しているのです。あなたがこんなに親切をしてくださることはこの私にとって、これまで起ったことの中でとても稀なことです。私はそのような滅多にないほどの幸運に恵まれてこんな幸せなことはありませんという告白なのです。

ところで、あるのが難しいどころか、あり得ないことが起っていて、そのことに全身全霊で気付いたとしたら、どんなことばが飛び出すのでしょうか。あるのが難しいことに対しては「ありがとう」ということばが定着しています。これに対してあり得ないことに対しては「ありえなーい」ということばになるのでしょうが、まだ定着したことばとはなっていません。

実はそのあり得ないことがすでに起ってしまっているというのがキリスト教の主張なのです。

「死こそ常態である」ということばをご存じでしょうか。

私たちはいま生きていて、これこそ普通のこととして受け止めていますが、その生きていることは、ちょうど船という支えなしに、海の上に悠然と立っているようなものなのです。

私たちのいのちはそれ自体の中には、存在の根拠を持たないのです。その根拠のないものが実際に生きているのです。奇跡と言うほかありません。

ある日こんな考えが一瞬でも閃いたら、あなたはすでにりっぱな哲学者であり、どんな不幸と思われることが起っても、それでも、そこにあるだけで感謝することのできる実力を身に付けたことになります。


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