始め善ければ・・・

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

その昔、子ども向けテレビで「工作」を行う番組がありました。お兄さんと縫いぐるみのキャラクターとでする工作。子ども心に、何を作るのかな、何ができるのかなぁと「わくわく」しながら見ていましたね。とても懐かしい想い出です。

途中ドタバタがあっても、きちんと完成して終了。物事は「終わりよければ全て良し。」なのかも知れません。でも普通に何かする場合、周到に計画を立てて、順序よく、手際よく行わないと、予定をオーバーしたり、出来ずに終わってしまうことも多いかも知れませんね。その様に考えると「始めが大事」なのかも。

人によっては、計画を立てても、始めの一歩が踏み出せなかったり、途中で立ち止まったりしてしまうこともあるでしょう。そのときは「初心」、始めのことを思い出しましょう。

「初心」。どんなことを思って始めたのでしょうか、誰のために始めたのでしょうか・・・。さまざまなことが思い浮かぶでしょうね。その最初の想いは「宝物」のように大切なもの。

小さな子どもが、お母さんのため、お友だちのため・・・と心を込めて、何かをしようと、何か贈ろうとしたとき、大人の目から見て、ささやかなものだったとしても、とても嬉しく思いますね。なぜならそこに本当の「心」があるから。その心を大事にしたいと思います。

今日も新しい1日が始まってゆきます。1日の出来事、仕事、勉強など、様々なことを、子どもの様な純粋な心、暖かな心、思いやりの心をもって始めるなら、どんなに小さくても、きっと素晴らしいものになるのでしょう。完成すること、完成させることも勿論大切だけど、最初の「心」を大切に、いつまでも大切に・・・そんな歩みができます様に。

始め善ければ・・・

服部 剛

今日の心の糧イメージ

昨年の健康診断で、「コレステロール要注意!」の診断結果を受け取った私は、小心者ゆえに翌日から健康な体を目指すべく、ジョギングを始めました。ジョギングといってもかわいいもので、今までろくに運動しなかった私は、近所を20分ほどゆっくり走るだけで、家に戻ると、ハアハア、ゼイゼイ、言いながら、床にへたり込んでしまいます。ですが、ジョギングをするようになって、学生時代の部活以来の、汗を流す爽快感を、久々に感じています。

ジョギングをする時間は、朝です。〈1年の計は元旦にあり〉というように、〈1日の計は朝にあり〉という私なりの持論を掲げ、部屋で準備体操をしてから外に出て、歩かない、ということだけは肝に銘じ、ゆっくり一定のペースで走ります。走りながら頭に浮かぶのは、妻とダウン症を持つ息子の顔です。〈まずは自分が健康体にならねば〉と言い聞かせながら走っていると、次に心の中に芽生えてくるのは、坐禅に少し似た感覚。腕を振り、足を上げ、同じスピードで姿勢を保つと、〈無〉の感覚を目指す心理状態になってきます。ジョギングも中盤から後半に差し掛かると、日々の印象的な場面が浮かび...そうこうするうちに、一見、苦しいジョギングも心地よいものとなり、遠くの我が家は近づいてきます。

シャワーを浴び、朝食を済ませ、喫茶店まで歩き、紅茶を飲みつつ原稿を書いたり、ひととき瞳を閉じて、静かに祈ったりします。地元の教会で息子をかわいがってくださるHさんが病気療養中のため、祈っていると...なんと、そのHさんがご主人様と姿を現したので、驚きました。そんな偶然の出来事も、朝のジョギングの密かな効用かもしれません。


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