決心したとは言うものの、スムーズにことが運んだわけではなく、途中で何度も実現不可能だと思われ、気持ちが折れそうになった時もありました。しかし、この決心は、我ながらなかなか固いもので、容易にあきらめられるたぐいのものではありませんでした。
年の初めや毎年の黙想明け、何か日常と違う新しい節目の時、気持ちを奮い立たせて、「今度こそ」とか「今年こそ」と、何か決心しようとすることが度々ありますが、長続きさせることは難しく、「三日坊主」の時もある私です。しかし、修道生活への決心は揺るぎなく、心の奥深いところでしっかり支えられている味わいが心のどこかに感じられました。
私のこの体験は、まさに「Well begun is half done.」ということを物語っていると思います。今、私は、いくつもの障害を乗り越え、修道生活を歩み続けることができるのは、自分の力だけではなく、聖霊の促しによるものだと強く感じています。
そして、人生の大きな「第一歩」の決心がどんなに大切か、その「始まり」がなければ、今までの歩みもあり得なかったこと、まさに、「始めることで半分できた」のも同然だと、実感しています。
やはり素晴らしい人類の先輩がいました。古代から現代まで、何とか明るく生きたい、と願う人々が沢山いたのです。
旧約聖書の「知恵の書」を是非座右の書としていただきたいのですが、現代の心理療法の名作にも、ほぼ同じような知恵を論文に書いている先輩がいるのです。結論は毎朝、短いイメージほど効果があるようですが、自分が元気になるような短い言葉をお祈りのように心の中で唱える習慣が大事なようです。その言葉は人から言われたものは効果が出ません。努力して知恵の書を読みつつ、自分の大好きな言葉を自分で見出す必要があるようです。どんな言葉を選ぶかで、その日が決まり、長い人生も決まるようです。
毎朝、人を呪うような言葉を呟く人と、毎朝、自分と人の幸せを祈る1日の始まりとでは、どう人生が展開していくか、言うまでもありません。毎日考え行動する内容が、人生そのもののようです。
過去は過去、どうにも変えようがありませんし、将来は、どうも読めないのが現実。勝負は「宝物のような今日1日」のようです。 今日1日の考え方が長い人生を決めているようです。