始め善ければ・・・

森田 直樹 神父

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人生も半ばを過ぎると、自らの生涯の終わり方を少々、考えるようになりました。今、持っている多くのものをどのように処分しようか、これらをいつ処分しようか、とか、身の回りの様々なことがらを、どのように整理していこうかなどと、頭の中でいろいろと考えめぐらしてはいますが、なかなか適当な答えは見つからないでいます。

ところで、聖書によると、すべての命は、神さまによって善いものとして創造されました。つまり、1人1人の命は、例外なく、生まれつき善いものなのです。

過去を振り返って考えてみれば、物心がついた頃、新しい友だちがやって来て、一緒に遊ぶとなった時に、少しの躊躇はあっても、すぐに一緒に遊んだことを思い出します。そこには、肌の色や国籍、生まれ育ちやことばの違いなどは関係なく、互いに何かしらの思いやりをもって接し、遊んでいたように思います。

それから年を重ねるにつれ、善いものとして造られたはずの私たちですが、特に傷つけられた経験を通して、様々なしがらみや思い込みなどを背負ってしまい、他者との間に壁を築いてしまってきたのかもしれません。

善いものとして人生を始めた私たち1人1人ですが、疑いや迷い、恐れや戸惑い、そして自分中心の考え方によって、少しずつ自分が築いていった壁の中に閉じこもってしまったのかもしれません。

始め善ければ、すべてよし。このことは、途中も終わりも善いものにしていくようにと教えているようにも思います。

人生の歩みの初めも、そして、おそらくは1年の初めも、共に善いものであることを心に刻みながら、自分自身が本来持っている善さを輝かせて、この年も1歩1歩、着実に歩んでいきたいと思います。

始め善ければ・・・

堀 妙子

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私の父は高校の体育の教師だった。放課後は陸上部のコーチをしていた。父は選手をその気にさせる名人だったように思う。インターハイや国体でも優勝する優秀な選手を何人も育てた。選手と父は、いつもユーモラスな感覚に満たされていた。

さて、「始め善ければ・・」というテーマで思い出したことがある。父のコーチとしての面目躍如という試合があった。他県でインターハイがあった時のことだ。1万メートルに出場する男子の選手がいた。なんと試合の直前に父に「先生、スパイクを忘れてきました」と言ったのだ。父はしばし絶句したが、今から試合で走る選手を叱っても仕方がない。あわてずに、とんでもないアドバイスをした。「このグラウンドにスパイクは合わない。アップシューズのほうがぴったりだ」と。そして、「スタートが大事だから囲まれないように、始めに飛び出して引き離し、あとは最後まで他の選手に追いつかれないように走れ」と言ったのだ。

父のアドバイスによって、その選手はその気になって、スパイクを履いている選手を見ても動揺せず、始めから飛ばした。ほかの選手に囲まれたりしないようにして走り続け、なんと優勝してしまったのだ。父はスパイクを忘れたと聞いた時にゾッとしたそうだ。まさか父の言った通りに走ることができるとは思ってもいなかったし、まして優勝するとも思っていなかった。

もし、父が「スパイクを忘れるなんて、バカヤロウ!」などと選手を怒鳴ったりしたら、試合に出ても、「どうせ負ける」と思って惨憺たる結果に終わっていただろう。私は父のこのエピソードを聞いてから、人は、どんな状況でも、初めから諦めてはいけないということを教えてもらった。


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