過去を振り返って考えてみれば、物心がついた頃、新しい友だちがやって来て、一緒に遊ぶとなった時に、少しの躊躇はあっても、すぐに一緒に遊んだことを思い出します。そこには、肌の色や国籍、生まれ育ちやことばの違いなどは関係なく、互いに何かしらの思いやりをもって接し、遊んでいたように思います。
それから年を重ねるにつれ、善いものとして造られたはずの私たちですが、特に傷つけられた経験を通して、様々なしがらみや思い込みなどを背負ってしまい、他者との間に壁を築いてしまってきたのかもしれません。
善いものとして人生を始めた私たち1人1人ですが、疑いや迷い、恐れや戸惑い、そして自分中心の考え方によって、少しずつ自分が築いていった壁の中に閉じこもってしまったのかもしれません。
始め善ければ、すべてよし。このことは、途中も終わりも善いものにしていくようにと教えているようにも思います。
人生の歩みの初めも、そして、おそらくは1年の初めも、共に善いものであることを心に刻みながら、自分自身が本来持っている善さを輝かせて、この年も1歩1歩、着実に歩んでいきたいと思います。
父のアドバイスによって、その選手はその気になって、スパイクを履いている選手を見ても動揺せず、始めから飛ばした。ほかの選手に囲まれたりしないようにして走り続け、なんと優勝してしまったのだ。父はスパイクを忘れたと聞いた時にゾッとしたそうだ。まさか父の言った通りに走ることができるとは思ってもいなかったし、まして優勝するとも思っていなかった。
もし、父が「スパイクを忘れるなんて、バカヤロウ!」などと選手を怒鳴ったりしたら、試合に出ても、「どうせ負ける」と思って惨憺たる結果に終わっていただろう。私は父のこのエピソードを聞いてから、人は、どんな状況でも、初めから諦めてはいけないということを教えてもらった。