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私にとっての復活とは

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ

私の洗礼名すなわちクリスチャンネームはヨハネです。これはキリストの12人の弟子の中の一人の名前をいただいたものです。

この方は福音書と言われる新約聖書の一つの文書の著者とされ、神秘的洞察力を持つ人として知られています。

キリスト復活の場面はとりわけ深い神秘に満ちていて、読む者を異次元の別世界へと案内してくれます。

キリスト復活の朝、弟子の代表格であったペトロとともに墓に向かって走ります。しかし、そこに着いて見たものは空っぽの墓だけです。肝心のイエス・キリストの姿は見当たりません。そこでこの弟子は告白するのです。「見て信じた」と。(ヨハネ20・8)復活の墓は空っぽでした。キリスト不在の墓、これがキリスト復活の証拠物件です。肝心の主人公であるイエス・キリストはどこに行かれたのでしょう。

実はこの問いかけこそ、この弟子が渾身の力を振るってすべての人に投げかけているメッセージなのです。どなたか復活のキリストを見かけた方はいませんかと。

この問いかけに私はこう答えることにしています。この私の中を始め、多くの人々そしてこの世界のあちこちで確かに見かけましたと。今も、それとは知らず、あるいははっきりとした名指しのもとに、復活者は見出され続けています。

空の墓のように、空っぽの人生に出くわし、空しさにさいなまれながらも、懸命にその意味を探し求める人々の中で。

空しさと寂しさに耐えられず、周囲に当たり散らし、悲鳴にも似た叫びをまき散らす若者たちの中で。

そう言えば、この弟子は記しています。仲間と漁に出かけて、何も獲れず、空っぽで帰るしかないと思われた時、ぼんやりとした朝霞の中に、岸辺に立つ復活のキリストを見かけたときめきの体験を。(ヨハネ21・1〜14)