第108課 ゲッセマネの園(マタイ 26・30~46)

 最後の晩さんのあとでイエズス様は弟子たちと一緒にオリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園へ行かれました。その途中でイエズス様は「今夜あなたたちは皆、わたしのことでつまずくであろう」と弟子たちにおっしゃり、悲しまれました。ペトロは、たとえ、みんながあなたのことでつまずいても、わたくしは断じてつまずきません」と言いましたが、イエズス様は「あなたによく言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは、三度わたしを知らないと言うであろう」と預言なさいました。

 ゲッセマネの園に着かれると、イエズス様は次の日、私たちの罪を償うために耐え忍ばなければならない苦しみを考えられて、益々悲しくなられ、「わたしの魂は悲しみのあまり、死ぬほどである」とおっしゃいました。それからイエズス様は弟子たちから少し離れられ、御父に「父よ、もしできることならば、この杯(苦しみ)がわたしの前を通り過ぎるようにしてください。しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのおぼしめしどおりにしてください」とお祈りになりました。

 イエズス様は神様のおん独り子でしたが、私たちの救い主になられるために人間としてお生まれになりましたので、私たちと同じような感覚があり、そのため私たちと同じように苦しみをさけたいとお思いになりました。ですから、その苦しみから解放されるようにお祈りになりました。しかしイエズス様はわがままな気持ではなく謙遜な心でお祈りをなさいましたので、最後に「しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのおぼしめしどおりにしてください」と御父に祈られたのです。

 イエズス様は弟子たちに祈りについて説教なさった時、祈るときはいつも、自分が望んでいることよりも神様のみ旨が行なわれることを祈るように勧められましたが、ゲッセマネの園でそのすばらしい模範をお示しになりました。

(つづく)