第99課 良い羊飼いのたとえ話(ヨハネ 10・1~21)

 イエズス様は生まれつき目の見えない人の目をお開きになってから、ご自分を良い羊飼いに、そして、弟子を羊にたとえられて、ご自分がどれだけ弟子たちを大事にしているかということを説明なさいました。

 「わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っている。わたしの羊もまたわたしを知っている。・・・わたしが来たのは、羊に命を得させ、しかも、豊かに得させるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とイエズス様はおっしゃいました。

 イエズス様はこのたとえ話で、永遠の命を弟子たちに与えるためにこの世におくだりになり、彼らがその命を受けられるようにご自分の命を犠牲としてお捧げすると教えられました。つまり、狼がやって来て羊に襲いかかろうとする時、羊飼いが羊を守るために命をかけて戦うように、イエズス様は弟子たちを罪から救うためにご自分の命をお捧げするとおっしゃったのです。

 またイエズス様は、ご自分の命を捧げるのは、弟子たちのためだけではなく、すべての人々のためであると強調なさいました。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もある。わたしは、その羊たちをも導かなければならない。彼らもわたしの声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる」とイエズス様はおっしゃいました。

 この、言葉の中の囲いと群れは、イエズス様がお建てにな.った教会を意味します。つまりイエズス様が望んでおられたのは、すべての人々がその教会に人り、ご自分の犠牲によって永遠の救いを得ることでした。

 この話を聞いた人々の中には「彼は悪魔に取り付かれて、気が狂っている。なぜ、あなたたちは彼に耳を傾けるのか」と言う人々もいましたが、ある人々は「これは悪魔に取り付かれた者の言うことではない。悪魔に盲人の目を開けることができるだろうか」と言いました。

(つづく)