第98課 生まれつき目の見えない人(ヨハネ 9・1~41)

 イエズス様は、神殿から出られてエルサレムの町をお歩きになっていた時、生まれつき目の見えない人をご覧になりました。弟子たちは、この人の目が見えないのは彼が犯した罪のためであるのか、あるいは両親の罪のためであるのかと尋ねました。イエズス様は、「本人が罪を犯したのでもなく、両親が罪を犯したのでもない。むしろ、神の業がこの人に現われるためである」とお答えになりました。

 それからイエズス様は地面に唾を叶き、その唾で泥を作ってその人の目にお塗りになり、「シロアムの池で洗いなさい」とおっしゃいました。目の見えない人は、シロアムの池へ行って目を洗うとたちまち見えるようになりました。

 その日は安息日でしたので、ファリサイ派の人たちは、イエズス様がその日に人の目をいやされたのを知って、「あれは安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言いました。しかし、別の人々は「罪人である人間が、どうしてこのようなしるしを行なうことができるだろうか」と言いました。

 ファリサイ派の人たちが目のいやされた人を呼んで問いただすと、彼は「生まれつきの盲人の目を開けた人がいるなどということは、いまだかつて聞いたことがありません。もしあの方が神のもとから来られたのでなかったら、このようなことは何一つおできにならなかったはずです」と言いました。するとファリサイ派の人々は腹を立て、彼を神殿から追い出しました。

 そのあとでその人にお会いになったイエズス様が、あなたは人の子(救い主)を信じるか」とお尋ねになると、彼は「主よ、いったい、その方はどなたですか。わたしはその方を信じたいのですが」と答えました。イエズス様は「あなたはその人に会っている。あなたと現に話しているのが、正にその人である」とおっしゃいました。すると彼は、「主よ、信じます」と、言って、イエズス様を伏し拝みました。

(つづく)