第97課 イエズスとアブラハム(ヨハネ 8・12~59)

 イエズス様は姦通の罪を犯した女の人を赦されてから、更に神殿で教え続けられました。その話の中でイエズス様は「わたしの言葉に従って生きているなら、・・・あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」とおっしゃいました。

 その話を聞いたある人たちは「わたしたちはアブラハムの子孫だ。今までだれの奴隷にもなったことはない。『あなたたちは自由になる』と、どうして言うのか」と尋ねました。するとイエズス様は「罪を犯す者は皆、罪の奴隷である」とお答えになりました。そしてご自分を信じるものだけが本当に自由な者になれると説明され、「わたしの言葉を守る人は、永遠に死に臨むことはない」とおっしゃいました。

 そこで、ある人たちは「アブラハムは死んだ。預言者たちも死んだ。それなのに、あなたは『わたしの言葉を守る人は、永遠に死を体験することはない』と言う。あなたは我々の父アブラハムより偉いのか」と再びたずねました。

 イエズス様は「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見ることを大いに楽しみにしていた。そして、それを見て喜んだ」とおっしゃいました。すると人々は「まだ50才にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、イエズス様は「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」とお答えになりました。

 モーセが神様にお名前を尋ねた時、神様は「わたしはある」と答えられました。これは神様がご自分の力で永遠から存在なさっているという意味です。イエズス様はご自分を同じ言葉で表わされたことによって、ご自分が神であることを、はっきりと人々に示されました。

 イスラエル人は人が自分を神とすることを最大の罪だと思っていましたので、ある人々はイエズス様に石を投げつけようとしましたが、イエズス様は身を隠されて神殿から出て行かれました。

(つづく)