第94課 最後の審判(マタイ 25・31~46)

 エリコからエルサレムヘ行く道を通りますと、今でも白い羊と黒い山羊を放牧している羊飼いを見ることができます。2000年前にイエズス様は同じ情景をご覧になりながら、最後の審判についてのたとえ話を述べられました。

 その話によりますと、イエズス様は審判の時にすべての人々を集められて、牧者が羊と山羊とを分けるように、救われた人を右に、救われなかった人を左にお置きになります。

 その時イエズス様は右側の者に「わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、わたしが飢えていたときに食べさせ、渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれたからである」とお話しになります。

 その話を聞いた右側の人々は驚いて、いつイエズス様にそのようなお世話をしたのだろうかと言いますと、イエズス様は「これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の1人にしたのは、わたしにしたのである」とおっしゃいます。

 それからイエズス様は左側の者に向かって、「のろわれた者たち、わたしを離れて、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火に入れ。おまえたちは、わたしが飢えているときに食べさせず、渇いていたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、また病気のとき、牢屋にいたときに、訪ねてくれなかったからである」とお話しになります。

 彼らが、いつあなたが困っているのを見ながら世話をしてさしあげなかったかと尋ねると、イエズス様は「これらの最も小さな者の1人にしなかったのは、わたしにしなかったのである」とお答えになります。

 そして、最後にイエズス様は「この者たちは永遠の刑罰に、正しい人たちは永遠のいのちに入るのである」とおっしゃるのです。

(つづく)