第70課 受難の予告(マタイ 16・21~28)

 イエズス様は、ペトロをご自分の代理者として教会の頭にお定めになった後、ご自分がエルサレムで多くの苦しみをお受けになって殺され、そして3日目に復活なさることを預言なさいました。

 それからイエズス様は、永遠の救いを得るために、弟子たちもご自分と同じように苦しみを耐え忍ばなければならないと説明なさいました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、それを得る」と、イエズス様はおっしゃいました。

 この話の中の十字架は苦しみを意味します。つまりご自分が人々の罪をつぐなうために十字架につけられたように、弟子たちも、苦しみを罪のつぐないとして神様に捧げるべきであると、イエズス様はおっしゃったのです。また、不平不満を言わず、イエズス様の弟子として、すべての苦しみを甘んじて耐え忍ぶならば、この世での命を失っても永遠の命を受けると約束なさり、反対に、今の命を守ることだけにつとめて、わがままな生活を送る人は永遠の命を失うと、イエズス様は忠告なさったのです。

 更に言葉をつけ加えられて、イエズス様は「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば、なんの益になろうか」とおっしゃいました。それは、今の人生でどれだけ財産を貯え、どれだけ豊かな生活を送ろうとも、死んでからの永遠の命を失うならば、そんなことはなんの役にもたたない、ということを意味します。

(つづく)