第48課 裁いてはならない(マタイ 7・1~5)

 イエズス様は『主の祈り』を教えられた時、自分の罪のゆるしを願う時には、人々の罪をゆるすことを約束するように勧められ、人の罪をゆるさないと自分の罪はゆるされないとおっしゃいました。

 また、山上の説教の終りのほうで、同じように、自分が裁かれないためには、人を裁かないようにしなければならないとおっしゃいました。「裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれないであろう。あなたがたが人を裁くように、自分も裁かれるのである」と、イエズス様はおっしゃったのです。

 私たちは周りの人々の欠点を見て、彼らをしばしば批判します。また、誰かが罪を犯すとか、なにかの間違いをすれば、その人を厳しく裁く傾向があります。しかし、反対に自分の欠点にはあまり気がつきませんし、間違いをした時、弁解ばかりするようなことがあります。そのようなことをすれば偽善者になってしまいますので、イエズス様は、人を批判したり、裁いたりすることを避けて、自分の欠点をよく反省し、その欠点を直すように努めることをお勧めになりました。

 そのことを強調するために、イエズス様は目についてのたとえを次のように述べられました。「兄弟の目にあるおがくずが見えるのに、なぜ、自分の目にある丸太に気づかないのか。自分の目に丸太があるのに、兄弟に向かって、『あなたの目からおがくずを取らせてくれ』とどうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおがくずを取ることもできるであろう」と、イエズス様はおっしゃったのです。

 イエズス様がおっしゃった通りにすれば、私たちはもっとよい人になり、この世の中はもっと幸せなところになると思います。

(つづく)