第14課 上から生まれること(ヨハネ 3・1~21)

 聖書によりますと、イエズス様は過越の祭りを祝うためにエルサレムに滞在しておられる間、いろいろな奇跡を行われ、イエズス様を信じる人々がだんだんと増えてきました。そして、ある日、ニコデモという人がイエズス様のところへ来て「わたしたちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。あなたがなさっておられるあのようなしるしは、神が共におられるのでなければ、だれにもできないからです」と言いました。イエズス様は、「人は上から生まれなければ、神の国を見ることはできない」とお答えになりました。

 その話を聞いたニコデモは「人は年をとって、どうして生まれることができますか。もう一度母の胎内に入って、生まれることができるのでしょうか」と聞きましたが、イエズス様は「人は水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である」とおっしゃいました。

 その時イエズス様は洗礼についてお話しになりました。洗礼を授ける時に潔めのしるし、つまり、罪のゆるしのしるしとして受洗者の額に水を注ぎますが、イエズス様の話によりますと、洗礼を受ける人は洗礼によって罪がゆるされるだけではなく、新たに生まれて新しい人生を歩み始めます。

 カトリック教会では洗礼によって与えられる霊的な恵みを成聖の恩恵と申します。その恵みによって洗礼を受けた人は超自然的に神様のご生命にあずかり、神様は超自然的にその人の心にお宿りになるのです。イエズス様がニコデモに、水と霊とによって生まれるとおっしゃった言葉はそのことを意味しているのであります。

(つづく)