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私たちのお母さん

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

聖書によると、この方は、正式の結婚をする前に、子どもをみごもりました。いわゆる「未婚の母」となったのです。

そして交通機関が発達していない時代、身重の身体で長い距離を歩き通し、大きな不安の中で子どもを産み、飼い葉おけに乳飲み子を寝かせることで精いっぱいでした。いわゆる「貧しき者の母」となったのです。

出産後まもなく、迫害を避けて異国の地へと逃げなければなりませんでした。おそらく、かの地で苦労しながら生活したことでしょう。いわゆる「難民の母」となったのです。

故郷に戻った後、しばらくは平和な生活が続いたようです。その姿は「ガリラヤの主婦」とも言えるでしょう。

飼い葉おけに寝かされていた子どもは成長し、父親の家業を手伝いながら、ある日、多くの人々に神さまの愛といつくしみを告げるために、母のもとを去っていきました。「旅立つ息子をただ見送るしかなかった母」となりました。

この息子は、濡れ衣を着せられ、人々のあざけりを受けて十字架にかけられてしまいました。この方は「死刑囚の母」となり、心の中に大きな悲しみを刻み付けられることとなりました。

十字架にかけられた息子は、不思議なことに、その弟子たちに現れ、祈る共同体ができました。その中にこの方もいたと言われます。「教会の母」として、自分の息子が救い主であると信じ、その弟子たちと祈り続けました。

この方はその生涯の終わりに天に上げられたと信じられています。いわゆる「栄光の母」となられたのです。

この方の生涯を振り返ると、まさに波乱万丈の生涯でした。それゆえ、聖母マリアは「わたしたちの『お母さん』」として存在し続けるのです。