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いただく命

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

厳しい自然を精一杯に生き抜こうとしている野の鳥や動物たちの姿を見るとき、わたしたちは命の尊さに心を打たれる。「あいつらは、食べて寝るだけで社会の役にたっていないから、生きる価値がない」と考える人はあまり多くないだろう。社会の役に立とうが立つまいが、精一杯に生きているというだけで、それらの命には価値があるのだ。

ところが人間のあいだでは、「社会の役に立つ人間には生きる価値があるが、役に立たない人間には生きる価値がない」という考え方がまかり通っている。病気にかかって働けなくなった人が「わたしは社会の役に立っていないから生きる資格がない」と思い詰めて自殺を試みるという痛ましい話から、若者が「社会の役に立たない人間には生きている資格がない」と考えて障害者を殺害するというひどい話まで、人間社会のあちこちでこの考え方が悲劇を引き起こしているのだ。

「この命には生きる価値があるが、あの命には生きる価値がない」とか「わたしの命の方が、あの人の命より価値がある」などと、いったい誰が言えるだろうか。どんなに頑張っても、人間の力だけで命を作り出すことはできない。すべての命は神から与えられるものであり、人間は結局のところ、命の神秘の前にひざまずく以外にないのだ。

思い詰めて「社会の役に立たないから、わたしには生きる価値がない」と考えるとき、あるいは思い上がって「あいつは、社会の役に立たないから生きる価値がない」と考えるとき、わたしたちは大きな考え違いをしている。

命の価値は、人間が決めるものではない。神によって創られたというだけで、精一杯に生きているというだけで、すべての命には限りない価値があるのだ。