2017年04月13日の心の糧


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いただく命

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ 教会というところには時折結構重みのある問題が飛び込んでくることがあります。

あの夜の1人のおばあちゃんの電話もそうでした。

長いこと1人暮らしをしているので、そこから来る寂しさも心細さも、もう慣れてしまって大した問題ではない。しかし もう80歳をとっくに過ぎて、そろそろお迎えが来るころになったけれども、「天国に行けるのかどうか、それを考えると心配で寝られない」という訴えです。

元気な頃は毎日曜日教会に行っていたけれども、歳を取るとそれもかなわなくなった。祈りは今でも毎日しているが、それでも心細いのだというのです。

キリスト者なるがゆえのこの悩みに対していかに答えるべきか。

「おばあちゃん、心配いらないよ。80数年前、知らないうちに気付いた時には生まれていたでしょう。同じように、死ぬ時も知らないうちに、気付いた時にはちゃんと死んでいるはずだから、何にも心配いりません」。

他人ごとのように、こんな返事をすると、そう言えば自分の誕生に立ち会ったわけではないし、死ぬ時も、自分の死に立ち会うことはないのだと、少しは気付いた様子でした。しかし、気付きはしてもこんな重大事はすぐに得心が行くものでもありません。

そこで、『教会には来れなくても時には温泉にでも行ったらどうですか。温泉にとっぷり浸かって「極楽!極楽!」いい気分になれると思いますよ。昔殉教者たちは最後に「パライソ!パライソ!」と嬉しそうに叫んで自分の命を捧げたというではないですか。パライソとは天国という意味だから、もう生きているうちから、温泉のように、天国に浸かっていたんだよきっと。』

いただく命、お返しする命。電話の向こうで命が脈打っていました。