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いただく命

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

5日前、私はモーツァルトの「レクイエム」の指揮をしました。

レクィエムという言葉はラテン語で、直訳すれば、「休息を」という意味です。この曲は死者のためのミサ曲であり、演奏に約一時間を要する大曲です。

この曲についてよく聞く話では、モーツァルトのもとを、灰色のコートを着た伯爵だったかが陰鬱な表情で訪れ、レクイエムの作曲を依頼したというのです。これを引き受けたモーツァルトは作曲を始めて2~3か月で体調を崩し、丁度書き進めていた「ラクリモーザ・ディーエス・イッラ」(日本語でその日こそ涙の日)から先の構想を弟子に話して、わずか35才で亡くなった、というようなことがいかにも天才に相応しく、人々の涙を誘うのです。

私のコンサートの3日後、今度は私の息子がピアノのリサイタルを開きました。そのプログラムは、「過去・現在・未来」と題して、「演奏家としての自分をもう一度確かめたい」と記しています。

この「未来」で演奏されるのがプログラムの中で一番古い、バッハというのも面白いです。音楽雑誌のインタヴューから抜粋しますと、バッハについて、「人間のエゴから離れ、与えられた命を喜ぶ音楽です。時代を超えて、人にとって喜びであり続けるでしょう。これからも、生きるものすべてが自らの命を祝福できる社会であってほしいという想いを込めています」と書いてあります。

私達皆が、父である神様から授かった命を喜び、互いに祝福できる社会を目指すとは、実に素晴らしい歩み方であると思います。

主イエスは「私は道であり、命である」と仰るので、私も望んで止まない永遠の命を頂くため、残されたこの世での日々を、道である主と共に歩む覚悟を確かめたいです。