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それでも感謝

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

私たちは人に親切にされた時、頼み事をしていて、期待通りかなえられた時、何か好物を頂戴した時、それぞれ「有難う」と感謝の気持ちを伝えます。ところが「それでも感謝」という題を頂いて、これは素直に感謝するということとは、微妙にニュアンスが違う難しい題だと感じました。なぜなら「それでも」の「でも」は逆接を表す言葉だからです。本来取り立てて感謝とは云わない、当たり前の事にも感謝するという事でしょうか。又は、納得のいかない状況にあっても、感謝せよという事なのでしょうか。そこで聖書にヒントを求めました。

聖書には、一見納得のいかないような話を、イエズス様が集まった群集に対して、話していらっしゃるという場面がいくつも出てきます。例えば、最後に来た人が天国では最初の席に着くという話や、持っている人には更に与えられ、持たない人は持っていると思っていた物迄、取り上げられる、というような言葉です。イエスズ様が群集に話している所に、母と兄弟が訪ねてきて待っていたが、取り次いだ人に対し「私の母と兄弟とは誰のことか」と云われた場面は、「誰でも私の天の父の意思を行う人が、私の兄弟、姉妹、母なのだ。」(マタイ12・48~50)と続くので、イエズス様の想いを理解することが出来るのですが、この時の待たされたままの聖母マリアの胸の内はまさに「それでも感謝」であったのではと思います。

私たちの日常は喜びも悲しみもあり、忙しさゆえに折角のチャンスを、取り逃がすこともあります。健康に気を付けていても病気や怪我もあり、幸運な出会いの反面、淋しい別離もあります。それでも、今日があり、生かされている事に感謝して人生を全うすることで、天国に到達出来るのですから、「セラヴィ!それでも感謝」です。